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濱野 裕貴子 キャリアコンサルタント/公認心理師/ワークショップデザイナー くっしょん舎
「お江戸」「古典芸能」というちょっとナナメの切り口から、人生やキャリアについて考えてみたいと思います。
古典芸能で紐解くキャリア・仕事・生きること 趣味・カルチャー 2014-02-25
古典落語de「ストップ!早期離職」

晴れて就職したにもかかわらす、思い描いていた理想と現実とのギャップに衝撃を受け、早々に退職してしまう若者…。相変わらず、こんな話が世間を賑わしていますね。

リアリティショックや早期離職は、現代社会に特有のことと思われるかもしれませんが、なんと古典落語にも、似たような現象を描いた噺があるのです。

噺のタイトルは、「船徳」。さっそく見てみましょう。

 

主人公は、ある商家の若旦那、徳三郎。跡取り息子にもかかわらず放蕩三昧、今は馴染みの船宿の居候となっています。 ※船宿:隅田川沿いにあり、吉原などの花街にお客を運ぶ手漕ぎの船を運航していた。

徳三郎には、かねてから憧れの職業がありました。それは、「船頭」。「算盤をはじいたり帳簿をつけたりする商人より、粋に船を漕ぐ船頭の方がかっこいいから」というのが、彼が船頭になりたい唯一の理由です。

船宿の主人でもある船頭の親方は、「あなたが考えるほど簡単な商売じゃない」と止めます。しかし徳三郎は、「絶対に船頭になるんだ!」と言って聞き入れません。

親方は仕方なく、船頭になることを許します。ただし「ひとりで船に乗ることは絶対禁止!」という条件付き採用です。せっかく船頭の恰好をしているのに仕事をさせてもらえない徳三郎。彼の欲求不満は、日に日に募るばかりです。

 

真夏のある日、事件が勃発します。

親方をはじめ(徳三郎以外の)船頭がすべて出払ってしまった船宿に、「浅草まで行きたい」という二人連れのお客がやってきました。女将は「あいにく船頭がいないので船を出せません」と断りますが、その背後には、船頭姿でぶらぶらしている徳三郎が…。

「何だ、ひとりいるじゃないか。お前さん、船を出しておくれ」。

必死で止める女将を振り切って、威勢よく船に乗り込んだ徳三郎。それが悲(喜?)劇の始まりでした。

技術も体力もない徳三郎が、思うように船を操れるはずがありません。岸につないである縄を解かずに船を出そうとしたり、川の真ん中で棹を流してしまったり、船をぐるぐる回転させてしまったり…。次から次へと珍騒動が巻き起こります。 (「船徳」の見どころはここ! 抱負絶倒のエピソードが、噺家の絶妙な動きと語りでイキイキと紡ぎ出されます)。 

船に翻弄され続け、疲労困憊。とうとう、「もう嫌だ、もうやりたくない」と泣きごとを言いつつ、船の上で伸びてしまった徳三郎…。

 

この噺は、徳三郎の「お願いがあるんですが…。船頭をひとり雇ってくださいな」というセリフで幕切れとなります。

徳三郎は憧れの職業に就いたはずなのに、実際に仕事を体験した途端、辞めたくなってしまったわけですね。この原因はいったい何でしょうか。今回は、「キャリアの意思決定」の観点から考えてみましょう。

徳三郎の意思決定は、一時の思いに衝き動かされた衝動的なものでした。彼の意思決定の過程を見てみると、次のような問題点が浮かび上がってきます。

・具体的な仕事内容についてほとんど知らないまま、船頭になると決めてしまった。

・「船頭はかっこいい」「商人はさもしい」といった表面的な印象、もしくはステレオタイプな考えをもとに、自分にとっての仕事の良し悪しを決めてしまった。

キャリア心理学者のハリィ・ジェラット氏は、「キャリアの意思決定においては、自分の興味に関連しているからこそ望ましいものだと思えてくる『主観的可能性』が採用されやすい」と述べています。さらに、「『主観的可能性』による誤った判断を避けるためには、客観的なデータを収集し、それを意思決定に活用していくことが重要である」とも述べています。

徳三郎は、自らの興味に関連している「船頭」という職種が、自分にとって望ましい唯一の選択肢だと思ってしまいました。客観的なデータ(判断材料となる情報)の収集が決定的に不足していた、と言えそうです。

意思決定の前段階で、先輩の船頭について仕事を体験する、あるいは体験談を聞くなどして客観的なデータ(職種に関するさまざまな情報)を集めていたら、徳三郎は船頭という仕事が自分に向いているのか、自分が幸せに仕事ができそうかなどについて、正しい判断ができたかもしれません(同様に、あまり興味の持てない「商人」の仕事についても、思いこみにとらわれず多角的に情報収集をしていたら…。別の意思決定をしていた可能性もありますね)。

また、親方が徳三郎に対して仕事に関する情報を十分に与えていなかったことも問題でした。具体的には、船頭という仕事は「棹は三年、櫓は三月」というほど熟練が必要であること、体力がなくては務まらないこと、人の命を預かる重い責任が伴うことなどです。

こうした情報があれば、徳三郎は船頭という仕事を選ばなかったかもしれないし、逆にやる気を出して「イチから船頭の修業させてほしい!」と親方に懇願した…かもしれませんね。

 

若者の早期離職を防止し、納得のいくキャリアを歩み出してもらうために、情報収集の重要性をどう伝えるか、情報収集をどのように促すか、企業からはどんな情報を提供してもらうべきか…。

「船徳」は江戸時代が舞台の噺ですが、平成の世で若者のキャリア支援に従事している私に対しても、たくさんの問いを投げかけてくれます。

最後に…。「船徳」は、噺家さんの動きと表情が身上の落語です。ぜひ実際の高座(もしくはDVD等)でお楽しみいただきたいと思います。

 

参考図書:新版キャリアの心理学(ナカニシヤ出版)

おすすめDVD:落語研究会 古今亭志ん朝全集 下「船徳」(ソニーミュージックダイレクト)

 


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