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濱野 裕貴子 キャリアコンサルタント/公認心理師/ワークショップデザイナー くっしょん舎
「お江戸」「古典芸能」というちょっとナナメの切り口から、人生やキャリアについて考えてみたいと思います。
古典芸能で紐解くキャリア・仕事・生きること 趣味・カルチャー 2014-03-25
古典落語de「子どもの職業選択、その時、親は…?」

子どもの行く末が心配…これは、いつの世も変わらぬ親心ですね。最近では、心配のあまり過干渉となった親が就職活動中の子どもを苦しめる話もよく耳にします。

今回ご紹介する古典落語「火事息子」にも、「子どもの職業選択」に悩む親が登場します。さっそく覗いてみることにしましょう。


舞台は、質屋を営む大きな商家。ある冬の日、近所で火事が発生します。幸い延焼は避けられそうですが、念のため土蔵の高窓に目塗りをしておくことになりました。             ※火災時に土蔵の中に火が入らないよう、戸や窓の隙間を練り土で塗りふさぐこと。

旦那(社長)から目塗りを命じられたのは、高所恐怖症の番頭(マネージャー)。番頭が梯子の上で震えていると、法被に下帯姿の男が屋根の上を飛ぶようにやってきます。

それは、五年前に勘当された若旦那、芳三郎でした。

芳三郎は跡取り息子でありながら家を飛び出し、今は武家屋敷専門の火消し人足「臥煙(がえん)」になっています。生家の方角で火が出たと知り、心配して駆けつけてきたのです。
 ※公的な消防組織(定火消し)の一員だが金銭的には恵まれず、徒党を組んでゆすり・たかりを働くため、庶民から大変嫌われていた。町内の自治組織である「町火消し(いろは四十七組)」の人気とは対照的。

芳三郎の助けによって番頭が目塗りをすませた頃には、火事も無事、鎮火。立ち去ろうとする芳三郎を引き留めた番頭は、親子を引き合わせようとします。実は両親のことが気になって仕方がない芳三郎、意を決して父親に会うことにします。

一方、「あの臥煙は、実は若旦那だった」と聞かされた旦那。自分に背いた息子が、火事場に駆けつけて立派に働いてくれた…。複雑な心境です。結局、「勘当した倅は赤の他人。お世話になった他人様には直接お礼を申し上げなきゃ失礼だ。」と理屈をつけて、息子と会うことにします。

いよいよクライマックス、親子の対面です。俯いたまま小さくなっている芳三郎に、旦那は父親として今の気持ちをぶつけます(父親の息子に対する屈折した愛情、ぽろりとのぞく本音…聴きどころです!)。

「子どもの頃から火事が好きな、変わった子だった…。お前が19の時、町内の火消しの頭が『大変です! 若旦那が手下にしてくれって言ってます!』って飛んできたっけ。大事な跡取り息子だ、町火消しなんて当然許さなかったさ。お前は家を飛び出してった。あれから五年、どうしてるかと思えば、よりによって臥煙なんぞになっていやがって! やりたいことをやって今はさぞ満足だろうよ。…でも、少し年を取ったら体が利かなくなるんだぞ。もし屋根から落っこちて怪我でもしたら、お前…(泣)。」

 


…さて、この後、父親はどうしたと思いますか?

何と父親は、芳三郎に向かって「さっさと帰れ」と言います。心の底ではものすごく心配しているのに、勘当を解いたり、臥煙から足を洗わせようと説得したりはしないのです。

私はここが、この噺の「いいね」ポイントだと思っています。

子どもが初めての仕事に就く時期は青年期後期に当たり、「個」としての自立をはかる「親離れ」が重要な発達課題となります。親の立場から言えば、「子離れ」の時期ということになりますね。
とはいえ、「子離れ」はなかなか難しいもの。

教育学者の児美川孝一郎氏は著書「『親活』の非ススメ」の中で、動物の中で人間の親だけが「子離れ」に苦労する理由として、「人間は『欲』を持つ存在だからではないか。『子どものため』『子どもが困るから』等の言い訳のもとに親がしている言動は、結局のところ、『自分かわいさ』(=欲)に発しているかもしれない」という趣旨のことを述べています。

だとすると、五年前、父親が芳三郎の「火消しになりたい」という希望を全力で阻止したのも、親の「欲」(即ち世間体や見栄など)が勝った結果だったのではないでしょうか。

それから五年。近所の火事のおかげで芳三郎に再会できた父親は、息子の「火消しになりたい」と思う気持ちが本物だったことや、親の意に沿わない形ではあるが自分で選んだ仕事を精一杯やっていることなどを、目の当たりにしたに違いありません。それで初めて、「世間体は悪いしこの先も心配ごとは絶えないと思うが…。息子を信じて、息子が自分で選んだ人生を見守ってやろう。」と思えたのではないかと、私は思います。ようやく「子離れ」ができたのですね。

 

この噺には、私の「いいね」ポイントがもうひとつあります。

噺の終盤、父親は芳三郎と母親を会わせます。久しぶりに会えた息子に大喜びの母親ですが、芳三郎の粗末な身なりを見て哀れに思います。「あなた、お願いですからこの子に着物やお金をあげてくださいな」。しかし父親は「こいつにやるくらいなら、捨てたほうがましだ!」と突っぱねます。「そんなひどいことを言わないで!」と懇願し続ける母親。やがて、(母さんいい加減に察してくれよ…)とばかりに、父親がこんな一言を。
「いいから捨てといてごらんよ。…拾っていくやつが、きっといるんだから。」

 

何ともまどろっこしい支援の仕方のようですが、親からの支援を受け取るか受け取らないかも含めて、息子の判断に委ねようとしているわけですね。

父親の「捨てておけ」という一見乱暴な言葉の中には、「私にはいつでもお前を助ける用意があるよ。でも、それを使うかどうかは、あくまでもお前が決めるのだよ。」というメッセージが込められているように思えてなりません。いい支援の仕方だなと思います。

この噺のテーマは、ズバリ「親子の情愛」です。聴き終えた後、心がジーンと温かくなるはず! ぜひ聴いてみてくださいね。

 

参考図書:児美川孝一郎「『親活』の非ススメ〝親というキャリア″の危うさ」(徳間書店)

おすすめCD:志ん朝復活―色は匂えど散りぬるを「る」 火事息子
        (ソニーミュージックジャパンインターナショナル)


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