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濱野 裕貴子 キャリアコンサルタント/公認心理師/ワークショップデザイナー くっしょん舎
「お江戸」「古典芸能」というちょっとナナメの切り口から、人生やキャリアについて考えてみたいと思います。
古典芸能で紐解くキャリア・仕事・生きること 趣味・カルチャー 2016-06-28
古典落語de「ステキだな、やってみよう!」

あなたには、憧れの対象はありますか? その対象に近づくために、普段の生活の中で何か行動していることはありますか?

今回ご紹介する落語には、「ステキだなァ…」と思うことを自分の日常の中で実現しようと頑張った男が登場します。彼の憧れとは、いったいどんなものなのでしょうか?

 

ある夏の日の夕方。植木屋の八五郎は今日も一日、お出入り先のお屋敷で庭仕事に精を出していました。そろそろ店じまい…と思ったところに、「植木屋さん、植木屋さん」と呼ぶ声が…。声のするほうを見ると、縁側から旦那様が手招きしています。

 

旦那様は、縁側で涼みながらお酒を楽しんでいるご様子。

「植木屋さん、よかったら相手をしてくれませんか」

どうやら、暑い中毎日頑張って仕事をしていた八五郎への、旦那様からの労いのようです。

 

お酒には目がない八五郎、喜んでご相伴にあずかります。旦那様が勧めてくれたお酒は、上方の友人が送ってくれたという「柳蔭(やなぎかげ)」。みりんと焼酎をほぼ半々に混ぜたもので、冷やして飲む夏向きのお酒です。

 

珍しいお酒に舌鼓を打つ八五郎に、今度は「鯉の洗いはお好きかな?」と訊く旦那様。八五郎が断るはずがありません。氷の上にきれいに並べられた鯉の洗いを見て、「身が白くてきれいですねえ! 鯉は真っ黒いのに、これはたいそうよく洗ったんですねえ!」などと頓珍漢なことを言う八五郎。旦那様は笑いながら、「洗い」の意味を教えます。聞いた八五郎は感心しきり。

 

鯉の洗いを肴に柳蔭を楽しむ八五郎に、今度は「ときに植木屋さん、菜(な)のお浸しはお好きかな?」と旦那様。菜(な)のお浸しとは、小松菜のお浸しのことです。

「でえ好き、目がねえんです!」

「では、取り寄せよう」

手をポン、ポンと叩きながら「これよ、奥や」と旦那様が呼びかけると、襖がすうっと開いて、三つ指をついた上品な奥様が現れました。

「旦那様、何か?」

「植木屋さんは菜がお好きだそうだ。鰹節をたっぷりかけて、持ってきておあげ」

「旦那様…。…鞍馬から牛若丸が出でまして、その名を九郎判官(くろうほうがん)」

「ほう、そうかい。…じゃあ、義経にしておきな」

 

この会話を聞いた八五郎は、何が何だかさっぱりわかりません。「鞍馬の方から、牛若さんとかってぇお客さんがいらしたんすね。じゃあ、あっしはこれで…」と帰ろうとする始末。

 

旦那様から、この会話が「その菜(名)を喰ろう(九郎)てしまったから、もうないんです」→「そうかい、じゃあ、止し(義経)にしておきな」という意味であると聞き、びっくり仰天。さらに、このような会話を旦那様と奥様との「隠し言葉」といい、来客の前で言いにくいことを伝えなければいけないときに使うのだ、と教えてもらい、またまた感心しきりです。

 

「さすが、旦那は違うなあ、てえしたもんだ!」

旦那様と奥様の会話を、どうしても自分もやってみたくなった八五郎。

長屋に帰るやいなや、おかみさんに「柳蔭(の代わりの普通のお酒)」、「鯉の洗い(の代わりの鰯の塩焼き)」を準備させ、挙句の果てには「奥様」の役をやってくれるように頼み込みます。

「奥は『継の間(つぎのま)』にいるんだ。うちにゃあ継の間、ねえなあ…。しょうがねえ、押し入れに入っとけ!」

暑いから嫌だと言うおかみさんを押し入れに押し込んで、準備万端。あとは相手を見つけるのみ。

そこにタイミングよく、友達のタケさんが通りかかりました。

 

「植木屋さん、植木屋さん」

突然こんなふうに呼びかけられた大工のタケさん、何が何だかわかりません。何度もしつこく呼ばれるので、しぶしぶ八五郎の長屋に入ってきました。

しめた!

旦那様になり切った八五郎は、旦那様が言っていた台詞を、最初からそのまま忠実にリフレイン。ところが、冷たくて甘い焼酎のはずの「柳蔭」は普通のぬるーいお酒ですし、さっぱりしているはずの「鯉の洗い」は脂のきつい鰯の塩焼き。話がちっとも噛み合いません。ちんぷんかんぷんのタケさんをよそに、グイグイ話を進める八五郎…。

 

「ときに植木屋さん、菜のお浸しはお好きかな」

「嫌ぇだよ。俺ァ、生まれてから一回も食ったことがねえ」

「ときに植木屋さん、菜のお浸しはお好きかなっ」

「嫌ぇだって言ってんだろ!」

「菜のお浸しはお好きかな(泣)」

「泣くこたァねえだろう! わかったよ、好きだよ」

根負けしたタケさんがこう答えると、八五郎は得意満面です。

「では、取り寄せよう」

手をポン、ポンと叩きながら「これよ、奥や」と八五郎が呼びかけると、押し入れの襖が荒々しく開いて、汗だくだくのおかみさんが転がり出てきました。

暑さで意識朦朧のおかみさん、息も絶え絶えに答えます。

「(ハアハア)旦那様、何か?」

「植木屋さんは菜がお好きだそうだ。鰹節をたっぷりかけて、持ってきておあげ」

「(ハアハア)旦那様…。(ハアハア)…鞍馬から牛若丸が出でまして、その名を九郎判官、義経!」

おかみさん、思わず、義経まで言ってしまった! どうする八五郎!

 

 

「…じゃあ、弁慶にしておきな」

八五郎、憧れの旦那様の言動を真似てみたけれど、おかみさんのまさかのしくじりで失敗…。とっさに「弁慶」を出してきたところに、八五郎の絶妙なセンスを感じますね(笑)。

 

実は私は、八五郎の行動力を見習いたいと思っているのです。「ステキだなァ、よし、俺もやってみよう!」とすぐに行動に移せる力は、賞賛に値することだと思います。

とかく我々は、「恥ずかしい」とか「ガラじゃない」とか「準備ができていない」とか、変な自意識に阻まれて、心の奥底ではやってみたいと思っていても実際にチャレンジすることに尻込みしがちです。八五郎のような、「いいと思ったら、とにかくやってみる! さっそく真似してみる!」という、自分のやりたいことに素直な気持ちと行動の積み重ねが、案外早く自分や周囲を本当に変えていくのではないのかな、と思ったりします。

 

この落語「青菜」で私が一番好きな登場人物は、お出入り先の旦那様。物心ともにゆとりのある優雅な暮らしぶり、日常の中にさりげなくちりばめられた教養…。でも、それだけじゃないんです!

実際の落語をぜひ聴いて実感していただきたいのですが(こればっかりは、聴いていただかないと絶対に実感できませんので!)、前半の旦那のお話しぶりがとても穏やかで上品で、本当~にステキなんですよ! 

出入りの職人である八五郎に対しても、敬意を払って思いやり深く、本当に丁寧に接していて、ひとつひとつの言葉の中に人としての深みのようなものが滲み出ているのです。八五郎が旦那様の振る舞いや言葉を真似してみたくなったのも、決して「その名を九郎判官」「義経」のくだりだけに影響されたわけではないように思うのです。八五郎が憧れ、「いいなあ」と思っているのは、実は旦那様の懐の深さや人間性なのではないでしょうか。

 

年を重ねることと比例して、人間性も高めていきたいものだなあ。落語家さんが演じる旦那様のステキな姿を見るにつけ、私はいつもそんな気持ちになります。


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