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濱野 裕貴子 キャリアコンサルタント/公認心理師/ワークショップデザイナー くっしょん舎
「お江戸」「古典芸能」というちょっとナナメの切り口から、人生やキャリアについて考えてみたいと思います。
古典芸能で紐解くキャリア・仕事・生きること 趣味・カルチャー 2015-09-22
古典落語de「業(わざ)を蓄える」

「好きなことを仕事にしたけれど…。」「やりたい仕事には就いたけれど…。」

仕事をやればやるほど、自分の力不足をひしひしと感じる。いくら好きであっても、納得のいく仕事って、なかなかできないものですよね。

 

 

江戸時代、腰元彫りの名人に、浜野矩安(はまののりやす)という人がいました。腰元彫りというのは、日本刀の鍔(つば)や小柄(こづか)に装飾を施す工芸のこと。矩安(のりやす)さんの作品は大変な人気で、彼の技を学ぼうというお弟子さんも大勢抱えていました。しかし不幸なことに、矩安(のりやす)さんはほどなくして、亡くなってしまいます。

 

矩安(のりやす)さんには、一人息子がいました。名前を矩隨(のりゆき)さんといい、彼もまた腰元彫りの職人です。とてもとても真面目な青年なのですが、父に似ず、ものすごく不器用。なにしろ、猪を彫ったら「豚ですか?」、狸を彫ったら「河童ですか?」と言われてしまうような、残念な腕前なのです。

 

たくさんいたお弟子さんも、「こんな二代目にはとてもついていかれない」と出て行ってしまい、後には年老いた母と矩隨(のりゆき)さんのみが残されてしまいました。

今や、矩隨(のりゆき)さんの作品を買ってくれるのは、父の代から懇意にしてきた若狭屋さんただ一軒です。今日も作品を抱えて若狭屋さんを訪ねた矩隨(のりゆき)さんですが、若狭屋の主人から、思いもよらないことを言われてしまいます。

 

それは、「商売替え」のススメ。

「私はずっとあなたの作品を見てきたが、申し訳ないが腕が向上する見込みはないと思う。今まではおとっつぁんの義理もあって、あなたの作品を買い上げてきた。でも、私もボランティアじゃない。これ以上ガラクタ同然のあなたの作品を買ってあげることはできない。あなたには年老いたおっかさんもいる。親孝行したいなら、商売替えしたほうがいい。私が元手を出してあげるから、どうか別の商売をなさい」

 

しかし、矩隨(のりゆき)さんは納得できません。「何とか腰元彫りで身を立てて行きたい、頑張るので何とかお力添えをお願いしたい」と懇願します。

 

これを聞いた若狭屋さんは、思わずこんなことを言ってしまいます。

「どうしても続けるって言うなら、いっそ死んでしまった方がいい。あなたは、自分がおとっつぁんの顔に泥を塗っているってことがわからないのか!」

 

ついに若狭屋さんからも見放されてしまった…、尊敬する父の顔に自分が泥を塗っていたなんて…、でも、私は腰元彫り以外で身を立てようなどとは思えない…。矩隨(のりゆき)さんは、絶望して家に帰ってきました。

いつもと違う様子の息子に気づいた母親は、若狭屋で何があったのか矩隨(のりゆき)さんに尋ねます。隠し通せなくなった矩隨(のりゆき)さんは、若狭屋での出来事とともに、「死のうと思う」と打ちあけました。

 

息子の自殺念慮です。普通の母親ならば、必死で止めることでしょう。でも、矩(のりゆき)さんのおっかさんは違っていました。「よし、そこまで本気で死ぬと言うならば、おっかさんが死ぬ手伝いをしてやろう」と言い、実際に自殺の道具の準備を始めました。

 

梁に紐を括りつけて輪にし、踏み台にのぼって輪に首を通して、「それではおっかさん、お達者で…」。矩隨(のりゆき)さんが踏み台を蹴って梁にぶら下がろう…という寸でのところで、「お待ち!」と止めた母親。

 

「せっかく死のうというところで止めて申し訳ないのだが、ひとつ頼みがあるんだよ。おっかさんに、形見の品を残して行っておくれ。」

 

母親からのオーダーは、高さ10センチほどの観音像。母へ残す自分の形見作り、この世での最後の仕事です。ろくに寝もせず飲まず食わずで一心不乱に七日七晩仕事に打ち込み、八日目の朝…。ようやく観音像が彫りあがりました。

 

母親もこの七日七晩、ずっと仏壇に手を合わせていました。よろよろと仕事場から這い出してきた矩隨(のりゆき)さんが観音像を手渡すと、今度はこんなことを言います。

「見事だよ…本当によくできた…。この観音様の足の裏に『矩隨』の銘を入れて、若狭屋さんに持ってお行き。若狭屋さんはきっと欲しいと言うだろう。50両に一文欠けても売らないと言ってごらん。間違いなく50両で買ってくれるから。死ぬのはそれからでも遅くないよ」

 

自分を見限った若狭屋さんがまさか…とは思いましたが、そこは親孝行の矩隨(のりゆき)さんです。母親の言葉に素直に従い、疲労困憊の体に鞭打って若狭屋へやってきました。

 

若狭屋では、主人が矩隨(のりゆき)さんを心配していました。勢いで「死ね」などと言ってしまったことを、今さら後悔していたのです。

「母に若狭屋さんにお見せするようにと言われたので」と、観音像を取り出した矩隨(のりゆき)さん。それをひとめ見た若狭屋さんは大絶賛し、「これはすごい! 50両で買おう!」と言います。

ところが、像を手にとってあれこれ眺めていた若狭屋さんの顔が、急に険しくなりました。

 

「矩隨(のりゆき)さん、あんた、おみ足の裏に『矩隨』と彫ったね?」

「はい、それが何か…?」

「なんてことをするんだ! おとっつぁんの作品に自分の名前を入れちまうなんて! 自分の腕をあげもしないで、こんな卑怯な真似を!」

「ということは…旦那は、この観音様を、おとっつぁんの作だと思ったんですか?」

 

なんと若狭屋さんは、矩隨(のりゆき)さんの作品を、名人だった父・矩安(のりやす)の作品と勘違いしたのです。この観音像は、それだけ素晴らしい出来栄えだったのです。

矩隨(のりゆき)さんは嬉しさのあまり泣きながら、母に残す形見として、死ぬ気でこの観音像を彫りあげたことを若狭屋さんに伝えました。

 

このことをきっかけに矩隨(のりゆき)さんの才能は開花し、父と並び称される腰元彫りの名人として、後世に名を残すことになります。

今日ご紹介しているのは、「浜野矩隨(はまののりゆき)」という落語。

落語には名人の苦労譚がいろいろあるのですが、矩隨(のりゆき)さんはその中でも、とりわけ不器用なキャラクターです。人間の弱さも満載…。

そんな人が、文字通り死ぬ気で仕事に向き合って、とうとう才能を開花させ、やがて父を超えて行くというプロセスが、本当にドラマチックですよね。

お母さんにも凄味があります。「自殺する」と言う息子を目の前にして「本当に死ぬ覚悟かどうか」を試し、本気であることを確かめると今度は、そのパワーを職人としての仕事にぶつけさせるのですから…。

 

私が好きなのは、古今亭志ん朝師匠の口演の中に出てくる、若狭屋さんのこの言葉。

 

「知らず知らずのうちに蓄えられていた業(わざ)というものが、お前さんが、その、死ぬ気になったときに、一時(いちどき)に出たんだぁ、なぁ」

 

仕事って、なかなか思うようにいかないものです。スキルだって一朝一夕に身に着くものではありません。仕事に用いることのできる力というものは、試行錯誤して、時には辛い目にもあいながら、ちょっとずつちょっとずつ、自分の中に溜まっていくものなのではないでしょうか。それが何かのきっかけで、もしくは「死ぬ気」くらいの本気を出した時に、いっきに閾値を越えて、ブワーッとあふれ出てくるものなのではないのかなあ。

いつ出てくるかは人によって差があって、早い人も遅い人もいるけれど、あきらめずに蓄えて行きさえすれば、いつかは矩隨(のりゆき)さんのように、いちどきに開花する時がくる。これは信じていいことではないかなと思っています(社会人歴の長い方ならば、多かれ少なかれ、そんな経験をお持ちなのではないでしょうか)。

たとえ今は辛くても、いつかはその辛さが肥やしになって、大輪の花を咲かせる時が来る(ちょっと浪花節かな)。

「浜野矩隨(はまののりゆき)」は、最近ちょっと仕事に悩み気味な若手社員の皆さんに、ぜひ聴いてみてほしい落語です。

 

P.S.

実は、上には書かなかったのですが、矩隨(のりゆき)さんが観音像を見せて若狭屋さんから戻った後、とても悲しい展開が待っているんです。矩隨(のりゆき)さんが家に戻ってみると、なんと母親が矩隨(のりゆき)さんの身代わりになって自害しているのです。それだけ壮絶な覚悟をして、命を賭して、息子のために尽力したということなのでしょう。もしかすると、神仏へ「命を捧げます」と誓っていたのかもしれませんね。しかし、それにしたって、ねえ…。

 

おススメCD:古今亭志ん朝 大須演芸場CDブック「浜野矩隨」(河出書房新社)

これが腰元彫りです(鍔(上)と小柄(下))


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