古典落語de「その見栄が命取り」 |
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ずっと手に入れたくて仕方のなかった、憧れの地位や仕事。それをゲットできそうなチャンスが突然めぐってきた! さあ、あなたならどうしますか? 今日ご紹介する落語には、ここぞという時の判断ひとつで明暗を分けた、ふたりの男が登場します。
時は江戸時代中期。七代将軍家継公が、わずか七歳で他界してしまいました。家継公には、もちろん子どもなどいるわけがありません。そこで、開幕後初めて、御三家の中から次の将軍を選ぶことになりました。
水戸公は既に副将軍職を拝命しているので、尾州公(尾張徳川家)もしくは紀州公(紀州徳川家)のいずれかが八代将軍になることに…。
さあ、浮足立ったのは尾州公です。というのも、尾張公は紀州公よりも年上、さらに石高も紀州が五十五万石に対して尾州は六十二万石と、まさっていたからです。 「この情勢じゃあ、次の将軍になるのは余に決まってる! 余もいよいよ、八百万石の天下人かぁ…」 尾州公は内心うれしくてたまりません。
八代将軍を決める会議(大評定)の朝。夜も明けきらぬうちから準備に余念のない尾州公、身体を洗い清めて新しい着物に身を包み、お供をたくさん連れて、お駕籠で江戸城へと出発しました。
時刻は暁七つ(早朝)。行列が江戸の町を進んでいくと、鍛冶屋さんの威勢のいい鎚音が聞こえてきました。 とんてんか~ん とんてんか~ん とんてんか~ん とんてんか~ん とんてんか~ん…
お駕籠の中の尾州公には、こんなふうに聞こえます。 てんかぁ~と~る てんかぁ~と~る 天下と~る 天下取~る 天下取~る…
「ほら、やっぱり余が天下を取るってことだ。縁起のいい音を聞いたなぁ」 尾州公は上機嫌で江戸城に入りました。
さて、江戸城の大広間。上手に尾州公、下手に紀州公。その他大勢の大名たちがずらりと居並ぶ中で、将軍決定の大評定が始まりました。 司会進行役は、相州小田原城主の大久保加賀守。まずは尾州公の前に進み出て、こんな言葉をかけます。 「このたび、七代の君、ご他界に相成り、お跡目これなく、下万民扶育(しもばんみんぶいく)のため、任官あってしかるべし」
(尾州公の心の声:うほほ、来た来た♪ でも待てよ、ここでホイホイ引き受けたら安っぽいよな…。ちょっと勿体つけて、一回断ろ。加賀守は絶対引き止めてくるはずだから、そしたら引き受けるって言おう。)
「余は徳薄うして、その任にあらず」 (尾州公の心の声:どうせ「そこを何とかお願いします!」とか言ってくるはず。ほら、ほら、ほらっ。…あれ? ちょ、加賀守、何でそっち行っちゃうの? お~い、引き止めないのか~いっ!)
どうやら大久保加賀守はとても真面目な方で、人の言葉をそのまま鵜呑みにするところがあったようです。尾州公を引き止めることなく、今度は紀州公の前に進み出て、「このたび、七代の君、ご他界相成り…」と、同じことを伝え始めました。
加賀守の言葉を聞き終えた紀州公は、こう答えます。 「余は徳薄うして、その任にあらず」
(尾州公の心の声:よっしゃ~っ! 紀州、わかってんじゃん! で、この後、加賀守が改めて余に頼みに来る、と。)
「…なれども」 (尾州公の心の声:な、なにぃ~~~~~っ!)
「下万民のためとあらば、任官いたすべし!」 (尾州公の心の声:しまったぁ! やっちまったぁ!)
つまらない見栄を張ったばっかりに、天下を逃してしまった尾州公…。 めちゃめちゃ凹んで屋敷に帰る道すがら、さっきの鍛冶屋の前を通りかかります。お駕籠の中から耳を澄ますと、相変わらず聞こえてきたのはこんな音。
とんてんか~ん とんてんか~ん とんてんか~ん とんてんか~ん とんてんか~ん… てんかぁ~と~る てんかぁ~と~る 天下と~る 天下取~る 天下取~る…
あれっ? まだ「天下取る」って聞こえる…。そうか! 紀州はいったん引き受けてみせて、後で「やっぱり尾州公に…」って譲るつもりなんだ!
一転して嬉しくなった尾州公がお駕籠の窓を開けてみると、「天下取る」の鎚音がますます速く、激しく響き渡ります。 次の瞬間! 鍛冶屋さんが真っ赤になった鉄を水につけたらしく、こんな音が聞こえてきました。
「キシュウ~ッ」 |
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この音を聞いた後の尾州公の落胆ぶりは、いかばかりだったでしょうか。 心中をお察し申し上げると同時に、深くご同情申し上げます(笑)。
それにしてもこの噺、「日本人の気質をよく表しているなあ~」と思います。 他者から何かを勧められたとき、何となく一度辞退してみるっていうことは、我々の日常生活でもよくありますよね。 例えば電車の席だとか、友人の家で食事を頂いているときのご飯のお代わりだとか(笑)。
本当は欲しいもの、受け入れたいものであっても、一度は断ってみる。そして不思議なことに、たとえ一度断ったとしてもなぜか最終的には、望む結果が手に入る。 日本という国では、そんな不思議でまどろっこしいやり取りが、ずっと行われてきたんですね。
その背景にあるのは、「すぐに受け入れたら図々しい気がする」、「ちょっと勿体ぶったほうが体裁がいい」という日本人特有の考え方、いわば見栄のようなもの。 それとともに、「一度断っても、きっとまた勧めてくださるだろう」という、相手に対する信頼(もしくは、甘え)のようなものもあるのではないでしょうか。 また、日本には昔から「根回し」という文化もあるので、一度断ることが儀礼的な意味合いを伴って行われる場合もあるかと思います。
でも、相手が加賀守のような人だった場合、「一度断る作戦」は立ちどころに失敗してしまいます。勿体ぶったり格好をつけることで、せっかくのチャンスをふいにしてしまう危険性がある。 このことは、肝に銘じておいたほうがいいですね。
殊に意識しなければならないのは、外国の方々とのコミュニケーション。グローバル化が叫ばれる昨今、海外で生活したり、外国人の方と一緒に働いたりすることも珍しくなくなりました。そうした場合、自分の意思や要求を明確に率直に提示することができないと、到底やっていくことはできないでしょう。
そもそも、人様が何かを勧めてくださるのは、好意や信頼の証です。ポストや仕事のオファーであれば、「ぜひあなたにお任せしたい」と思うからこそです。だから話を聞いて「そのポスト、欲しいな」とか、「その仕事、やりたいな」とか思ったら、勿体ぶったりせずに素直に、「はい、喜んで!」と言いたいものですね。
さて、今回ご紹介した「紀州」は鍛冶屋の鎚音がカギとなるお話。鍛冶屋の仕事がどのようなものかを知らなければ、面白くもなんともないんですよね。 この先ずっと古典落語を楽しんでもらうために、昔の職業や仕事の内容も後世に伝えていかなければならないなあ、とも改めて思わされます。
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