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■ 音楽の世界を彩る女性たち


愛と幻想と色彩と

愛と幻想と色彩と

川井 綾子さん
ピアニスト
シューマンの演奏に高く評価されていらっしゃる川井さん。リリースされているアルバム2枚ともにシューマンの曲を集めておられますが、シューマンがお好きですか?
川井さん:ピアニストとして、その時々に弾く曲にときめきますし、好きな作曲家はさまざまです。私の音楽人生を進むきっかけを作ってくれたのはショパンでしたが、シューマンは演奏する喜びを教えてくれた大切な作曲家でした。
「演奏する喜び」と仰いますと?
川井さん:小さい頃の私は、全くピアニストになりたいなんて思ってもいませんでした。ピアノは4歳から始めていましたが、本人も親も職業にするとは全く考えていませんでした。小学校4年生の時、ピアノの先生にグランドピアノを勧められた際も、父が「グランドピアノを買っても、綾子に音楽の道を強要しない約束なら」と、普通とは反対のことを言うような家庭だったのです。

また、中学受験もしましたし、中学校ではオーケストラ部に入ってバイオリンを習い始め、そちらの方が楽しくて、音楽は好きだったけれどピアノはもうやめようと思っていたのです。
その後、音楽高校に入られましたね。
川井さん:ええ。これまでの人生を振り返ってみると、なぜか岐路でくるっと運命が変わることが多くて。高校受験の際も、中学3年のクリスマスの日に、ある先生にショパンのスケルツォ聴いて頂いたことから、全く考えもしなかった音楽の道に進むことになったのです。

ですから音楽高校に入って初めて、音楽の道ってこんなに大変だったのか。。と後悔したり(笑)先生方の要求度も高く、ただ音楽が好きというだけでは、やっていける世界ではないと絶望的になったことも。本格的に勉強し始めるのが遅かっただけに自信が持てず、レッスンに行っては「もう才能がないからやめます」としょっちゅう泣いていました。

でもその音楽人生をもう1コマ進めるきっかけをくれたのがまたショパン。高校3年の時、全日本毎日学生音楽コンクールでショパンのバラードを弾き、全国1位を頂いたことで、「あれ?私は音楽を続けても良いのかな?」と思ったんです。 そして、その直後に出会ったのがシューマン。もともとロマン派は好きでしたが、それまでたくさん聴いていたショパンでもリストでもなく、シューマンの「幻想曲」という作品に出会った時に、すぱっと恋に落ちました(笑)
何が川井さんの心を捉えたのでしょう?
川井さん:シューマンは、天才女流ピアニストであったクララとの愛で良く知られていますが、二人が結ばれるまでにはさまざまな障害がありました。それを乗り越える長い年月の中、シューマンはまるでクララへラブレターを書くように、ピアノ曲をたくさん創ったのです。

その代表曲である「幻想曲」には、ほとばしるような情熱や夢見るような美しい世界が、文学青年だったシューマンならではの詩的な感覚で色彩豊かに描かれています。

やはり本好きで、恋に恋する年齢だった私は、自分の想いを重ねながら自分の指で音楽を紡ぎだすという幸福感を、この曲のおかげで本当に理解し始めた気がします。

私にとって「愛」「幻想」「色彩感」というのはどうもツボのようで、その頃やはり夢中になったのがシャガールでした。シューマンを聴いては夢想し、シャガールを見ては恍惚としながら辛い練習に耐えた青春でした(笑)

シャガールが描いた「ダフニスとクロエ」という作品を何十枚もの絵葉書セットにしたものがあるのですが、その頃初めてできたボーイフレンドが、その葉書の裏に絵の場面場面の筋書きを細かく書いては1枚ずつ送ってくれたのも、シューマンとシャガールへの恋心と重なる、青春の甘酸っぱい思い出です(笑)
その後留学されますが、留学先をパリに決めたのはなぜですか?
川井さん:シューマンが好きなのでドイツにも行きたかったのですが、私の恩師がフランスで勉強なさった方でフランス行きを薦められたこと、またヨーロッパ中の芸術家が集まり活躍していたパリのエスプリやセンスというものを吸収したかったことなどもあります。

初めてパリに行った時、憧れ続けたシャガールの天井画があるオペラ座で、大好きなジゼルのバレエを見ることができたのですが、ちょうどその日は私の21歳の誕生日。フランスならではのエレガントで品格のある貴族的な雰囲気の中、この世の物とは思えない幻想的な美しい舞台を見て、あまりの感激と共に、こんなすごい文化の中で培われたものを私は演奏しているのか、という事実に圧倒され、号泣してしまいました。
海外の教育は日本の教育とはどう違いましたか?
川井さん:日本で基礎を厳しく鍛えて頂いたからこその話だとは思いますが、海外では「そんなに練習するな」と言われてびっくりしました。「弾く」という動詞は、仏語でも英語でも「Play=遊ぶ」なんだよと言われて、あ、そうか、と。

いつもご自宅に泊めてくださり、犬の散歩や庭いじり、一緒に料理作ったりしたロンドンの先生や、スペインのコンクールを受けに行った際に、前日だというのにスペインの別荘でお手製の料理でもてなしてくださり、ご自慢のカブリオレで海辺を一緒にドライブしたフランスの先生など、人生を楽しみながら音楽をすることを教えて頂いた気がします。

ちなみにこのスペインのコンクールでは、先生のお蔭でリラックスできたのか、思いがけず最高位賞としてローレックスの時計を頂いたんです。世界三大コンクールであるベルギーのエリザベート王妃国際コンクールの予選を免除になる資格にもなりました。
それは、素晴らしい体験ですね。
川井さん:また、マリア・ジョアオ・ピリスさんのレッスンを受け、その後ポルトガルのベルガイシュという場所にある彼女のホーム(と言ってもホテルのように広く、畑まであるのですが)に泊まらせて頂き、コンサートにも出させて頂いたこともあります。

その時ピリスさんがおっしゃったのは、「音楽家は寛容であれ。いろんな要素を取り入れて、それを聴衆に惜しみなく与えられるように」ということ。 彼女はすごく小柄なのにものすごいパワーを秘めていて、ホームにコンサートのために滞在した何十人もの演奏家のケアや、養子までいる子供たちを世話するかたわら、近くに彼女が開校しようとしていた小学校の掃除もご一緒にしたり、ホームで開くオペラの衣装もご自分で縫ったり。ピアニストと言えば練習に専念、と思っていた私には驚愕でした。

その翌週にパリでコンサートを控えていらしたのですが、その練習をする暇もないくらいの忙しさ。それなのに、ほんの少し空いた時間に弾いて下さったシューベルトのソナタのなんと美しく慰めに満ちていたこと。。人生観が変わる思いでした。
川井さんも2つの音楽大学で教鞭を執られながら、コンクール審査や各地で演奏活動されていて、本当にお忙しくされていますね。
川井さん:毎週名古屋へ日帰りで教えに行っておりますし、帰宅してからも練習しなくてはならず、いくつもの仕事を抱えている気分です。また遅蒔きながら3年前に結婚をしたので、家事もプラスされますから、てんてこ舞いの毎日です。おっちょこちょいな失敗もたくさんしておりますが、主人がお料理も家事も上手でとても優しいので、心身共に支えてもらって本当に感謝しております。
睦まじいお二人で羨ましい限りです。
川井さん:ありがとうございます(笑)シューマン、シャガール共に、相思相愛の良き伴侶に恵まれ生涯を終えたそうですから、私生活が恵まれない芸術家が多い中で大変珍しいことです。私も是非あやかりたいと思っています。
川井 綾子さん
桐朋学園高校、大学を経てパリ・エコール・ノルマル音楽院を首席で卒業。第40回全日本学生音楽コンクール高校の部全国一位、マリアカナルス国際コンクール(スペイン)最高位とローレックス賞、エリザベート王妃国際ピアノコンクール(ベルギー)など受賞多数。パリ・ショパン協会主催“フェスティバル・ショパン”や“ヴァル・ディゼール音楽祭”出演など、フランス、イタリア、ベルギー、ポルトガルでもリサイタル、コンチェルトを行う。日本でも、新星日本、九州交響楽団、大阪センチュリー、神奈川フィルハーモニー管弦楽団と共演を始め、横浜市招待国際ピアノ演奏会、NHK-FM、ショパン協会リサイタル出演や、公共ホール活性化事業、スタインウェイ・ジャパンの登録アーティストとして各地で活躍中。リリースした2枚のCDは共に「レコード芸術」誌で準特選盤となる。現在フェリス女学院大学、愛知県立芸術大学講師。
スタインウェイ会最高顧問 鈴木達也氏にインタビュー
鈴木会長と川井綾子さんの出会いはいつごろですか?
鈴木氏:2001年に園田高弘先生が始めた「旬のピアニストシリーズ」第一回目のアーティストに川井綾子さんが選ばれ、その演奏会でご紹介いただきました。川井さんの演奏はその時初めて聴かせていただきましたが、やはりシューマンは素晴らしいです。スタインウェイの音をよく活かした演奏だったことを覚えています。

川井さん:ありがとうございます。翌年からスタインウェイ・ジャパンの企画で、各地で演奏をさせて頂くようになりました。鈴木さんとの出会いのお蔭で活動の場が広がり、本当に感謝しております。いつも親身になって優しく包んで下さいますし、初めてお会いした時は社長でいらしたのですがお偉いはずなのにとても気さくで親切にお話ししてくださるので驚きました。

奥様も素敵な方で、お忙しい中いつもお二人でコンサートにもお出かけ下さいます。個人的な相談もついお話ししてしまうような大らかさと温かさのあるご夫妻。今では敬愛と感謝をこめて鈴木会長を「おじちゃま」と呼ばせて頂いております(笑)

鈴木氏:アーティストをサポートすることがすなわち音楽界に寄与できることと思っています。アーティストたちには、より豊かに音楽人生を歩んでいただきたいといつも考えていますし、アーティストに寄り添い、悩みを聴き、励まし、ともに喜び祝い、希望をもって彼ら彼女らの力になることが私自身の音楽人生も豊かにしてくれます。

アーティストたちの演奏を堪能し、演奏後の晴れやかな表情をみることは私にとっても心の栄養です。川井さんは知性的な方です。作曲家と恋愛をしながらご自身の音楽性を豊かに表現することのできる、すぐれたピアニストです。お忙しいことと思いますがこれからも益々の充実とご活躍を期待しています。
鈴木 達也
スタインウェイ会最高顧問
1938年東京生まれ。1962年慶応義塾大学経済学部卒業、同年日本楽器製造株式会社(現ヤマハ株式会社)入社。68年米国ロサンゼルス米国現地法人ヤマハ・インターナショナル・コーポレーションへ出向。78年同取締役副社長。84年帰国、ヤマハ株式会社秘書室長。86年(財)ヤマハ音楽振興会専務理事。89年ヤマハ株式会社取締役、米国本社ヤマハ・コーポレーション・オブ・アメリカへ出向、同代表取締役社長。92年帰国、ヤマハ株式会社顧問。97年スタインウェイ・ジャパン株式会社代表取締役社長。2008年より会長、相談役、スタインウェイ会会長、2010年よりスタインウェイ会最高顧問、現在に至る。
福田 明子
ホールのオープンとともに管理運営に携わっています。クラシック音楽の演奏会をこよなく愛し朝から寝るまで音楽づけの毎日。たゆまぬ努力を重ねるアーティストの魅力的な人間性に触れる機会が増えるにつれ、音楽のもたらす力を実感している毎日です。
企画・取材
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