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■ 東京ウーマンインタビュー


逃げ場のない舞台に煌めく一筋の粋 二宮さよ子さんインタビュー

逃げ場のない舞台に煌めく一筋の粋
二宮さよ子さんインタビュー 

1969年に文学座の研究生となり、初舞台『ふるあめりかに袖はぬらさじ』で杉村春子と共演を果たす。劇団公演では『金色夜叉』『牡丹灯籠』『桜の園』等に出演。以後外部の舞台にも活躍の場を広げ、『化石の森』、『吉原炎上』等数々の映画やテレビドラマ、CMなどにも出演。「着物を着こなせる女優」としても評判の二宮さよ子さんに、4月24日に三越劇場で上演されるひとり舞台「成田屋おまつ」のことや杉村さんとの思い出など、様々なお話を伺いました。
「成田屋おまつ」
4月24日(火)三越劇場(東京都) 料金8,000円(全席指定)
江戸時代の歌舞伎界を舞台に、成田屋4代目團十郎の妻の後添いであり、菊之丞の後ろだてとして支えた「おまつ」の叶わぬ恋を描いた物語。
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※リンク先下段のお問い合わせより、購入枚数などをお問い合わせください。
自分のすべてで表現するひとり芝居「成田屋おまつ」
4月24日上演 成田屋おまつ
4月24日上演 成田屋おまつ

片岡:4月24日に三越劇場で上演される「成田屋おまつ」についてお聞かせください。現在は準備でお忙しいと思います。演出もご自身で行っているそうですね。

二宮:そうなんです。演出も、プロデュースも、お弁当の手配まで(笑)、すべて私がやっています。昨日は舞台の背景に飾る13mの縮緬生地に「娘道成寺」の文句を墨で書きました。
2008年にNHK FMのオーディオドラマという番組で、「成田屋おまつ」のお松役を演じました。その時からいつか舞台でも演じてみたいと思っていました。

片岡:ひとり芝居はどういうところが難しいですか。

二宮:私一人で他の人物がいるように演じることですね。どこに何があるのか、何をどうするのか。入口はどこで出口はどこにあるのか、こういいたことを全部イメージして演じなくてはなりません。あの人が来た、帰った。誰もいなくても、そこに人がいるように演じます。

縮緬生地に墨で書かれた「娘道成寺」
縮緬生地に墨で書かれた「娘道成寺」

菊之丞に踊りを教えるシーンでは、「足をこうしろ」、「腰を下ろせ」、「肩を動かせ」、「首の線を出すために肩甲骨を合わせろ」、実際には舞台には菊之丞はいないのだけど、そこにいるようにやって見せる。それをお客様が見て「こうやって教えているんだな」とわかるように演じなければいけません。 鏡なしでも鏡があるものとして、襦袢から舞台上で着替えたりする。舞台をカラにすることはできないんです。責任は全部自分。逃げられません。

片岡:演じてる最中はなにを考えていますか。

二宮:無心。この役になりきることだけです。

照れ屋。だけど大胆で好奇心旺盛な少女時代
片岡:小さい頃からお芝居が好きだったんですか。

二宮:私、小さい時から不思議な女の子でした。熱海に住んでいたんですが、いつも近くにある伊東線の踏切に行って、電車が通る一分間位ジーっと立って自分が作ったお芝居のセリフを言っていました。「私は白雪姫」とか(笑)。
電車が通っている間は誰にも聞かれないから、想像力豊かに演じていましたね。表現することが好きだったんです。

片岡:舞台を見る機会は少なかったのではないですか。

二宮:そうですね。でも通っていた小学校に時々劇団がやって来て体育館で芝居をやっていたんです。普段自分がマット運動をしていた体育館が池になったり森になったり橋になったりするのが驚きでした。えーっと思いながら立ち見をしに行く…そういう感受性が豊かな子どもでした。

中学生の時は、私が国語の本を読むと教室中がシーンとなる。

片岡:周囲が聞き入ってしまうのですね。

二宮:子供心にもわかっていました。表現することが好きだったのです。でも「私が私が」という積極的なタイプではなくて、すごい恥ずかしがり屋でしたね。

片岡:文学座に入ったきっかけはなんですか。

二宮:高校を卒業して、お芝居がやりたかったけど両親から反対され、勘当されるような形で家を出ました。それで東京に来て大田区久が原の大きなお屋敷をいきなり訪ねて行き、「女中さんとして雇って下さい」とお願いしました。

そこは蔵書がたくさんあるお宅で図書館のようなところがあり、私は習字を習っていたので、そこでアルバイトとして働くという条件で、住み込みで雇っていただくことができました。今でもそのお屋敷に行ってみたいなと思う時があります。

五人の女
五人の女

片岡: 女優として、女性として節目になったのはいつでしょうか。

二宮:特に節目というのはありません。ずっと芝居漬けでした。本当にたくさんやりました。今でも、台本がなくてもセリフが言えるくらいに、体に入っています。
今の女優さんの中には「妻であり、女優であり、母であり」という方も多くいらっしゃいますが、私にはその選択肢はないくらい、お芝居が人生そのものです。

片岡:辞めたいと思ったことはありますか。

二宮:全くありません。できたらこのまま、舞台の上で死にたいと思います。それと、芝居は面白いよということを若い世代に伝えたいですね。

杉村先生のダメだしが好きだった
明治一代女
明治一代女

片岡:杉村春子さんはどういう方でしたか。

二宮:厳しかったですね。先生は一日中、舞台や稽古はもちろん、どこにいても芝居の話ばかりでした。地方で舞台を終えて夜みんなで旅館に帰った時も、ごはんを食べながら「あそこがよくないよ」とダメ出しが始まり、夜遅くまで続くんです。私は一番ダメ出しをされましたが、その緊張感が全然苦ではなかったです。

舞台を歩くのも、お茶を飲むのも全部勉強でした。セリフの言い方、立ち居振る舞い、手の動かし方ひとつまで。

出雲の阿国
卒塔婆小町

例えばとある女優さんの手が無造作に動いてる。すると先生が「包丁を持ってきなさい」っておっしゃるんです。「その手を切ってやるから」って。その女優さんは泣いていました。でも私はその様子を見て「そうだな、ヘタだな」と思いました(笑)。それもまた勉強でした。

今は皆さんホテルの個室に泊まるのが普通ですが、当時は旅館の大部屋にみんなで泊まっていました。お風呂もないから、先輩に「お先に入らせていただきます」それが普通だったので、人間関係も色々学ばせていただきました。
懐かしいしありがたいことですね。

片岡:杉村先生の言葉で、印象に残っている言葉はなんでしょう。

二宮:たくさんあります。ひとつあげるとしたら、化石の森(1973年 東宝)という映画でショーケン(萩原健一)の相手役としてご一緒させていただいたのが映画デビューだったのですが、先生から「あなたは海のものとも山のものともわからないんだから、名前を呼ばれたら大きな声で返事をしなさい」と言われたことですね。

片岡:深い言葉ですね。

二宮:この映画には杉村先生も出演されているのですが、「みんなが私によくしてくれるのは、何も私がいい人だからじゃないんだよ。この映画に私が必要だから大事にしてくれるんだよ」とおっしゃったのも印象的でした。

 

杉村春子物語
杉村春子物語

片岡:「杉村春子物語」では杉村先生の一生を演じられました。

二宮:先生は常にセリフの音をものすごく厳しくおしゃってました。 「おはよう」「こんにちは」そういった言葉の「あたまの音」を全部同じ音でいうなと。千差万別の音を使いなさいと。そこは意識しましたね。 選挙演説でも同じ音でやったら聞いている方もつまらないですよね。小泉(進次郎)さんなんかはそういうところが上手だと思います。

杉村先生は91歳まで3時間の舞台に出続けました。そう考えると私はまだまだ子供だと思っています。もう80歳だとおっしゃる女優さんもいますが、まだまだ若いと思います。私も90歳を超えたら歳を感じるのかもしれませんね(笑)。

これから若い人たちに伝えていきたいこと

片岡:女優の立場で、あるいは働く女性として、若い世代の人たちを見て感じることはありますか。

二宮:日本人全体の声のトーンが高くなってきているように感じます。テレビのナレーションでも天気予報でも、語尾をはっきり言わないから肯定なのか否定なのかわからないことがよくあります。

これはご家庭でお母さんが子供に話しかけるトーンが影響しているのではないでしょうか。昔はお母さんがうちにいて、子どもが帰ってくると「おかえり、今日はどうだった?」と話しかけていたのが、現代はお母さんたちが働いているから余裕がなくなって、どうしても「早くしなさい」と高い声で煽ってしまう、それが小さい時からの話すトーンになっているので、大人になってからもそれが普通なのだと思います。

そういう世代が増えているせいか、俳優さんにもいい声の方が少なくなりましたね。声に深みがなくなったと感じます。

片岡:最近は、発声を教えることもされているそうですね。

二宮:働く女性達に発声の仕方を教える機会が増えてきました。舞台での腕の見せ所は、大勢のお客様の前で小さい声を明確に聞こえるように通すこと。これは文学座で教わったことですが、それをビジネスでも活かすことはできます。経営者の方はもちろん、営業の方でも受け付けの方でも役立ちますし、ちょっとした方法で見事に変わります。

片岡:着付けの講座も行うそうですね。

二宮:5月から中央区人形町の社会教育会館で3ヶ月間、月2回、講師として教室を開いてくださることになりました。最近着物を着る方が多くなってきましたが、着付けはできても所作が美しい人はまだ少ないと思います。2020年のオリンピックに向けて外国からのお客様も多くなります。着物の所作やマナー等に関心がある若い方も多いと思いますし、私の持っている知識はいくらでも教えてあげたいです。

吊革のつかまり方、席を立った時、ショールを羽織る時、扇子の仰ぎ方等、ちょっとしたしぐさでも美しく見えるコツがあります。着物に関しては言いたいことがいっぱいあります。着付けにしてもしわがあったって気にしないでよ、と思いますし、自分の体で着ればいいと思います。

片岡:「着物を着こなせる女優」の二宮さんならではですね。
女優さんとしては今後どのような活動をしたいですか。

二宮:舞台に限らず、テレビはもちろんなんでもオファーがあればやってみたいです。舞台もひとりではなくみんなとやりたいという思いもあります。

二宮さよ子さん

経歴
静岡県熱海市生まれ。文学座で研究生になった後、初舞台『ふるあめりかに袖はぬらさじ』で杉村春子と共演を果たす。劇団公演では『金色夜叉』『牡丹灯籠』『桜の園』等に出演。以後外部の舞台にも活躍の場を広げ、『化石の森』では映画に進出。

平成2年に退団をして以後も舞台は『貧民倶楽部』『ハムレット』『リチャード三世』等、映画では『吉原炎上』『陽暉楼』、テレビでは『火曜サスペンス劇場』や『必殺シリーズ』『土曜ワイド劇場』など幅広く活躍。13年間は石川耕士氏の脚本で『出雲の阿国』『ふるあめりかに袖はぬらさじ』『明治一代女』『卒塔婆小町』『杉村春子物語』などのひとり芝居の自主制作にも力を入れ、また書の個展を開催するなど、舞台に留まらない活動も行っている。

日本舞踊、三味線、小唄などをこなし、着物を着こなせる女優として知られる一方、普段はジーンズで過ごし卓球やゴルフ、ドライブが趣味というアクティブな一面を持つ。

職業
女優

映画
『化石の森』『陽暉楼』『吉原炎上』他

テレビドラマ
『鎌倉河岸捕物控』『平清盛』『大忠臣蔵』
『火曜サスペンス劇場』や『必殺シリーズ』『土曜ワイド劇場』他

HP: http://sayo-ninomiya.com/
ブログ:http://sayo-ninomiya.com/blog/


(取材:2018年2月)
片岡 英彦
株式会社東京片岡英彦事務所代表
東北芸術工科大学企画構想学科/東京ウーマン編集長
京都大学卒業後、日本テレビで、報道記者、宣伝プロデューサーを務めた後、アップルのコミュニケーションマネージャー、MTV広報部長、日本マクドナルド・マーケティングPR部長、ミクシィのエグゼクティブ・プロデューサーを経て、片岡英彦事務所(現:株式会社東京片岡英彦事務所)設立。企業のマーケティング支援の他「日本を明るくする」プロジェクトに参加。フランス・パリに本部を持つ国際NGO「世界の医療団」の広報責任者就任。2013年、一般社団法人日本アドボカシー協会を設立。戦略PR、アドボカシーマーケティング、新規事業企画が専門。東北芸術工科大学 広報部長/企画構想学科 准教授。
カメラマン:studio e