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■ 世界で活躍するウーマンたち


菊永 英里さん(株式会社クリスメラ 代表取締役社長)

菊永 英里さん
株式会社クリスメラ 代表取締役社長
はずれにくいピアスキャッチとして大変有名なクリスメラ。私も大切な人への贈り物などで使わせて頂いて、大変喜ばれていますが、設立が2007年の7月ですから、今年で7年目ですか。認知度も、売り上げもだいぶ上がってきたのではないですか
そうですね。有難いことに初めてお会いした人に、「知ってるよ」と言われるようになって少し安心しています。売り上げも3人だけの小っちゃい会社なんですけど、それがようやく安定して回っているかなという感じです。
良く聞かれる話だと思うんですが、起業されたきっかけは何だったのですか
起業のきっかけは16歳の時にありまして、私ほんとに何もできない子だったんですね。それまで海外のド田舎に住んでいたので、世間知らずというか、常識もない。そんな中、突然、渋谷にある青山学院高等部に入学しました。 渋谷にある学校だけあってみんなあか抜けてて綺麗だし、頭もいいし、という中に放り込まれて、あ、私何もできないんだということを実感したんです。

母が専業主婦だったのと、海外に赴任する奥様方ってほとんどが専業主婦で、私もそれまでは専業主婦になると思っていて、働くっていう事を考えたことがなかったんですけど、凄い綺麗な人たちを目の前にした時に、実は専業主婦になるってハードルが高いんじゃないか、と(笑)。

すごい短絡的ですが、余裕のある専業主婦って、それなりに収入のある方に選ばれて初めてなれると思ったんです。この美しさという土俵の上で競争していくって、眉毛も整えたことの無い田舎者の私には分が悪いと思ったことや、果たして、私は専業主婦に向いているのかと考えた時に、家事も別にその当時好きじゃなかったし、向いてないところで頑張る必要あるのかなと思ったんです。
日本に戻ってきて、逆カルチャーショックを受けられたんですね(笑)。
はい(笑)。また、私、中学三年生の時に、初めて塾に通わなければならないということがあって、ひとりで電車に乗れなかったんです。電車を3本見送って、結局乗れずに泣いて帰ったんですね。でも、15歳で電車に乗れなくて泣いて帰るって、相当やばいじゃないですか(笑)。普通に相当やばいと思うんですよ(笑)。そこで、普通の人に普通に出来ることが私には出来ないということがわかったんです。

でもそれが人生を考えるいいきっかけになって、じゃあどうしようかと思った時に、「別にみんなと一緒に電車に乗れるようにならなきゃいけないわけじゃない」と思ったんです。少し考え方が屈折しているんですけど(笑)。そして、電車に乗らない人生ってなんだろうかと思い始めて。色々考えた中で、自分で会社を作って、運転手を雇えばいいんだと。自分が出来ないことはそれを解決できる人を雇えばいいんだということに気付いて、独立しようと思いました。
しかも、菊永さん、結構早い段階で、いわゆる「稼ぐ」ということに出会っていらっしゃるんですよね、確か、高校生くらいの時でしたか
はい。それまで結構守られて生きてきてまして。高校生になってアルバイトしたいと言ったら、「アルバイトは危ないからダメです」と親に言われたんですね。私はルールを破っていくようなタイプではなかったので、アルバイトは危ないからダメだけど、お金を稼ぐことに問題はないんだと理解したわけです。じゃあ家で内職してお金を稼ぐ分には構わないよね、と。 そこで、内職を探してきて家でアクセサリー作りを始めました。

ビーズのアクセサリーのデザインを与えられて、同じものをいくつも作るお仕事だったのですが、ひとつ作るのに1時間位かかって250円位もらえるんです。そうすると時給250円じゃないですか。どんなに手を早くしても、限界があってそんなに早くならず、普通にアルバイトでもらえる時給には全然届かないんです。

アクセサリーの作り方を覚えた頃、材料を買いに行って、自分でアクセサリーを作るようになりました。そうしたら、母親が喜んでそのアクセサリーを着けて出ていくようになって、母親の着けているのを見て、「私も欲しい」というお客さんが増えまして、近所の方が買ってくださるようになったんです。イヤリングとネックレスをセットでデザインしてセットで1500円で売ったんです。そうすると時給1500円に跳ね上がるわけですよ。ああ、自分でデザインするということを加えるだけで、自分の時給って上げられるんだっていうのを学びました。

起業家になろうと決めていたので、アクセサリー作りで自分がデザインをする側になって、作ってもらう人に仕事を出して卸売をしてというアイデアの事業計画を書いたんです。しかし、それを父に見せたらコテンパンにやられました(笑)
起業したいというモチベーションを高校生時代に得たということですよね。
なんか生きていく方法を探さなきゃというか(笑)、このまま高校を卒業して、大学を卒業して、ちょっとOLして、専業主婦になるって思っていたのに道が見えなくなっちゃったので。でも、ずっと両親にぶら下がって生きていくわけにもいかないので、どうにかして生きていかなくてはいけなくて、自分でお金を稼げるようにならないといけない、と。

ちょっと話がずれるんですけど、我が家でお寿司屋さんの話題があって、母が祖母に「お寿司が大好きだからお寿司屋さんと結婚したい」と言ったら、祖母が「お寿司屋さんになっても毎日お寿司を食べられるわけではないから、お寿司屋さんに連れて行ってくれる男性と結婚しなさい」と言ったんですって(笑)。その話を聞いた時、「私は自分のお金で食べに行きたい」と思ったんですよ。

時代もあるけどみんな性格が全然違いますよね。結果、母は専業主婦になって、父にお寿司屋さんに連れて行ってもらっているんですけど、考え方の違いって凄いあるなと思って、中学生の時点で私は自分のお金で好きなもの食べたいと思ったんです。そもそも私は専業主婦向きではなかったのかもしれません。
中学生の時点でその考えに到達するって凄いですね。ただ、その時点で、会社員になるという選択もあったわけですよね、自分のお金でという視点においては。でも、そうではなくて、起業・独立と思ったのは何故だったんですか
会社員ってすっごい大変だと思ったんですよ。うちの父は銀行員だったんですけど、朝の7時から夜中の2時くらいまで、しかも週6くらいで出かけて行って、サラリーマンって凄い大変だと。大変さにも色々あって、組織の中でやっていく大変さとか、色々あるじゃないですか。私、小さい頃から協調性が全くない子で(笑)。お昼休み、みんな遊ぶじゃないですか。でも私はあんまり人と何かをするというのが得意じゃなかったので、教室にある本を端から読んでいくのが喜びで。ずっと一人で過ごしていました。そんな自分が組織の中で仕事をして出世していくって考えたらとても難しいことのように感じたんですね。

あと子供は欲しいと思っていたので、産前産後に会社から一旦離れてまた戻れるということを考えると、やっぱりサラリーマンで出世していくにはいろいろ大変そうだと。そして、資格を取って手に職をつけようかと考えたんですけど、私そこまで勤勉な人間じゃなくて、それもなんか違うような気がしていて。会社を作って、自分が出産するときにも回るビジネスを作るのが一番簡単そうと思ったんです。それから出産も育児もあと自分の好きな働き方も全部実現できるビジネスってなんだろうなとずっと考えていました。
ということは、アクセサリーを作ってみたいというような目的があったわけでなく、単に手段としての「起業」であったんですね。
最初アクセサリー作りからスタートしているので、よくアクセサリーが好きなんですねと言われるんですけど、見ての通り、私、全然つけないんです(笑)。 ピアスはお仕事柄つけるんですけど、出来るなら何もつけたくないタイプで、アクセサリーが好きだからそっちの道に進んだわけじゃないんです。
最終的に、このピアスキャッチに行き着くまでに、沢山の事業計画を書いてこられたという事ですが、どうやってそこまでに辿り着いたんでしょうか。
ほんとに色んなアイデアを考えていて、私がアイデアを考え始めたのは、97年くらいからですかね。その後、2000年くらいになると、インターネットが盛り上がってくるんですよね。当時はまだほとんどサービスがない状態だったので、インターネットのビジネスって考えやすかったんですよ、今までないものをこうしたら楽だよね、とか、自分が就職活動している時に、こういう仕組みがあったら便利だよね、とかたくさん考えていました。

でもそういうのって考えてしばらくしていると、似たようなサービスが出てきたりとか、スピードが速いんですよね。で、みんなが注目している分野で考えるって資本力だったり、スピードが必要になってくるので、勝ち目が薄いということを知ったんです。

で、なるべくみんなが忘れ去っているようなジャンルなり、業界を目指さなければいかないなというのは感じて、24歳の時に彼氏からピアスをもらってなくして喧嘩した時に、ピアスのデザインっていっぱいあるし、今年の流行の石はこれだっていう風にいっぱいあるけれど、金具って凄い置いていかれている分野と思ったんですね。調べてみると本当に原始的なままで取り残されていて、ここを改良したら可能性もあるし、敵もいない。専業主婦の話と一緒ですけど、敵がいない土俵をいかに見つけるかというか、少しでも勝ち目の少しでも高い所を見つけるかっていうことにかけては、凄く頑張って考えましたね。
よくぞそこに目が行きましたね
ほんと、当時の彼には感謝ですね(笑)怒ってくれて有難うですよね(笑)
そして、大学卒業後、起業される選択肢もあったわけですが、一度就職されているんですね
はい、その選択肢もありました。高校生のときからずーっとアイデアを出して父親に否定され続けていたら、父は私を起業させないようにアイデアを否定しているじゃないかと疑い始めるんですよ。アイデア自体がたいした事ないのは棚にあげて(笑)大学生のうちにとりあえず一度やってみようと思って、先輩二人に声をかけてやってみたんです。

そもそも会社って何だっけというところからわからない中で初めようとして、全く立ち上がらなかったんですよ。あ、このまま会社を知らないまま立ち上げても絶対失敗するなと思って、3年間だけ会社に勤めて、その3年間の間に起業できるノウハウというか勉強をしようと思って就職活動を始めました。
しかし、その会社員の時に、またも凄く戦略的に動かれているんですよね
私、最初営業として入社したんですよね。社長たる者、商品を売れなきゃいけないだろうと。それが一か月半で挫折するんですよ、早い…(笑)。凄い営業会社で、1日400件電話するんですよ。そのうちの何%のアポイントが取れるから、そこへ営業に行ってみたいな会社だったんですけど、そもそも人としゃべるのも会うのも得意じゃない人間なので、どんどん精神的にやられていきまして、毎日会社行く前に吐いて行っていまして(笑)
ええ?そんなにひどい状態まで追い込まれてしまったんですか?
そんなことに1か月半でなってしまって、じゃあ営業は出来ないから雇おうと(笑)。お得意の(笑)、雇えばいいんだというところに行き着いて。でも3年間は会社を辞めないと決めていたので、その会社の中で自分が独立に向けてなにを学べるかを考えたんですね。

社長たるもの数字を把握できねば、と経理とかも考えたんですが、経理も雇えばいいと思って。やっぱり経営者としてどんなマインドでいればいいのかというところは人に任せられないから、役員の一番近くにいて学べる役員秘書に志願しました。
しかも、菊永さん、その方が役員になる前に目を付けられていたらしいじゃないですか
そうなんです、そうなんです(笑)。思い込みって酷いもので、今いる役員の秘書は全部埋まっていたので、自分のポジションはないと。 当時、本当に凄い能力のある部長で、ズボンからワイシャツを出して、裸足でノートを持って会社内をうろうろされている方がいたんですよ。凄い発想も豊かだし、営業件数も凄いし、ただ、管理が全く出来ないので、デスクはいつも山盛り。トリプルブッキングだとか、会議には出てきたらラッキーくらいの(笑)、そんな方がいたんですよね。

この方のスケジュールとかもちゃんと管理されていたら、パフォーマンスがもっと上がって、会社にもメリットがあるはずと勝手に思い込みまして。いきなり部長に「私を秘書にしたら、絶対に役員になれると思います!」って新卒1か月半で営業をかけて(笑)。でも、当人からしてみれば、「営業もまともにできないのに何言ってんだ?!」って話になるわけですよ(笑)。なりますよね。

で、「俺は秘書なんかいらない」「秘書なんていたら面倒くさい」って言われていたんですけど、ずっと言い続けて、それから3か月間くらい部長の机の上を片づけたり、空き缶捨てたりということを通常業務以外にやっていて、そうすると、「俺の書類がない」とかいう話になるわけですよ。そうすると、ちゃんと出してきて「これです」みたいな(笑)。そういうのをやっていたら、「菊ちゃん、じゃあ俺の秘書になるか」って言われて、「なります!」って言ってなりました(笑)。その後、半年でその方は役員になりました。もちろん、その方の実力あっての話ですが。
それは上層部の意向も何も仰がないでやっていたんですか
そうですね。勝手に机片づけていて迷惑な話ですよね。でも、山盛りの机でやるよりも、きちんと書類が出てくる方が仕事がしやすいに違いないと思ってやっていました。
そういうように、ご自身で選択されてやっていたこと以外に、会社員時代のことが今に活かされているとしたらどんなことがありますか
私会社に恵まれていたと思っていて、その役員に1年半ついていたんですけど、その後、残り1年秘書をやり続けても大きな成長はないと思って、「次のことやりたいです」と言ったら、新規事業立ち上げ部署に移動させていただきました。

そして、その新規事業立ち上げの部門の責任者は外部から入ってきた優秀な方で、その方を通じて学ぶところはとても多かったです。ベンチャーだけあって、手を上げればチャンスをもらえる環境だったんですよね。だから3年間に本当に多くのことを学ばせて頂いたと思います。
そんなパワフルに、そして、計画的に起業された菊永さんですが、実際起業されて、どこが一番ご苦労されたところでしたか
実は起業してからの方がずっと精神的に楽で。サラリーマン時代の方が労働時間長かったし、忙しかったんですね。起業してからの方が、こんなに時間があっていいんですかという感じで(笑)。やっぱり組織の中でやりくりしてというのが向いていない人間だったんだと思います。

起業してから大変だから辞めたいということはなかったですね。キャッシュが足りなくなりそうとか、焦ったことはありますけど、致命傷にならない程度で乗り越えられているので、起業して後悔とかダメだと思ったことはないですね。
とは言いつつも、沢山の困難もおありだったと思いますが、それらを乗り越えてこられて、「あ、これはいける!」と思ったポイントとかきっかけみたいなものはありましたか
ピアスキャッチを販売する事に関しては、そもそも最初からずっとうまくいかなくて、断られたり、否定されたりし続けてきたんですよ。実は、ピアスキャッチを作り始めた時にお話しした宝石業界の方が、「ピアスは無くしてくれた方が次が売れる」って仰ったんですね。そういう発想があるんだとびっくりしたんですね。そんなこと言っている宝石店で買いたくないじゃないですか。ユーザーが聞いたらビックリですよね。

でも、実際、このようにかい離があるんですよね。ピアスは失くしやすいから、どんどん販売単価が下がっているんですね。実際、「ピアスは無くしやすいから高額なピアスは買わない」「3000円以下のピアスを買う人は50%以上」というデータもあります。でも、宝石店のオーナーは男性でピアスをしていない方が多く、なんとなくなくすというのは聞くけど、そこまで問題とは思っていない。そういうところに売り込みに行くわけですから、「定価で5000円もするピアスキャッチを誰が買うんだ!」ということになるわけです。まあ、わかります(笑)。

でも、「5000円のピアスキャッチを売りたいのではなくて、今までストレスを感じていたピアスの紛失から解決されて、自由に自分が好きなオシャレができるようになるための5000円なんです!」って言っても、全然相手にされないんですよね(笑)。で、悔しいんですけど、悔しいから「わかってないな~」と思うようにして帰るわけです(笑)。 でも、そこで、落ち込んだりということはなくて、元から、ずっと何千年も前からあるのに21世紀の今でさえ8割以上の人が落とした経験のあるものなので、そんなに簡単には理解されないよなというのが前提としてあって、なので、まあ、しょうがないなと。

でも、それでもいつか誰かが分かってくれるはずだと信じていました。ちょうど発売開始から2か月くらいの時に、ある楽天のショップの店長さんから扱いたいとご連絡を頂きまして。その方は元々宝石業界の方じゃなくて、元はIT業界ご出身の方で、「ピアスユーザーは絶対にピアスをなくしたくない。ただ、値段が5000円というところで何%が欲しがるかというところはあるけれど、商品は確実に面白い」と言って扱って下さって、かなりの広告を投入して下さったんです。そしたら、今までにない商品だったので、かなりいい結果がでました。

楽天市場の中のランキング上位に入るようになって、他の店舗さんが注目して下さるようになって。 発売開始から4年位たった頃から、ユーザーの満足度が次の購入につながると理解してくださっている宝石店さんに多く取り扱っていただけていますが、最初は店舗は全くダメで。 ピアスといえば宝石店で販売してもらわないと!とまっすぐに突っ込んでいったので苦労したのですが、ネットショップという宝石業界とはちょっと違った文化があるところから入ったことで、上手く突破口が開けたというのはありますね。
本当に女性達の救世主となりましたよね、このピアスキャッチは。ただ、一個買ったら、何個も欲しいというビジネスモデルではないですよね。
ビジネスモデルに長けている人には、リピート商品じゃないから、継続性がないんじゃないかと言われていたんですけど、日本だけで考えても、ピアスユーザーって凄いいらっしゃるんですよね。ポーラ研究所さんが2000年に出した調査結果で、女性の33%がピアスユーザーというデータがあります。1990年には17%だったので、今ではもっとのびていると考えています。2000年の数値のままと考えても1700万人くらいの方がピアスユーザーです。一度あけたらあまり閉じるものではないけど、毎年新しく開ける方もいるわけで人数は増えていく。

「ピアスキャッチで上場する会社を作るぞ!」という会社モデルではないですけど、ある程度の会社の規模だったら日本だけでも十分な規模ありますし、この商品は日本より海外の方が市場があると狙っていたので、単純に考えたら×国数と思うと、規模はそれなりにあるなと思っていたんです。だから、リピートが少ないだろうというのはそんなに問題じゃないと思っていました。
海外展開というのは今どうなっているんですか
元々父親にビジネスプランを持って行った時に、この商品なら海外の特許もおさえて海外に行けと言われていたので、それは目指していたんですけど、今、アメリカと台湾と、ロシアとコロンビアで話が進んでいます。小さいものなので、輸出がしやすいのもよかったです。今、アメリカに7店舗、台湾は1店舗あります。
海外ではピアス人口も圧倒的に多いので期待も持てますね。 ところで、私拝見して思ったのですが、クリスメラのHPがあまりにもわかりやすく、且つ、印象に残るものなので、あれって菊永さんがコンテンツにも携わっていらっしゃるのですか
有難うございます! はい、私がほとんどやっています。こういうコンテンツを作って、こういう見せ方にしたいとか考えるのが好きで。作る部分は外部のパートナーさんにお願いするですけど、私がこういうのをやりたいというのを詰め込んでできたサイトです。若干詰め込み過ぎて、ハウルの動く城みたいな感じになっているのですが、ウェブサイトをどうしようかとか考えるのはとても好きです(笑)。
ここまで自社の商品を上手く外に伝える術を持っている会社もそんなに多くないように思います。特に、日本はいいものを持っているのに、その伝える術を持っていない会社も多いのではないでしょうか
とはいえ、私も海外を始めたばっかりで正解を持っていないので、むしろ教えて頂きたいのですが、海外って文化が違うんですよね。例えば、日本のパッケージをそのまま海外に持って行ってもちょっとガーリー過ぎる、可愛すぎると言われて、アメリカ用のパッケージ用をリデザインしたんですよね。又、反対に台湾では、日本と全く同じの方が売れるとか、文化が全然違うので、文化に合わせて調整しているという感じですかね。

なので、うちの会社を凄く大きくして、うちの会社の人間を海外支社に行かすということは全然考えていなくて、その国のことをよく御存じのパートナーさんと組むことが一番だと思っているんです。そういう意味でアメリカも、アメリカに20数年間住んでいる方と組んでやっていますし、こうあるべきだという日本のルールを押し付けちゃいけないかなと考えています。
ここからは、プライベートな部分についても伺って参りたいのですが、先程、菊永さん、本を読まれるのが大好きだとおっしゃっていましたが、経営者の方って本好きが多いですよね。大変興味あるのですが、どんな本をお読みになっているのですか
本はですねえ、文庫本なら一時間で一冊、漫画だったら、一時間に10冊くらい読むんですよ。速読ですよね(笑)。だから漫画買うのが勿体ないくらいで、漫画喫茶に行ってバーッと読んで帰って来るという感じで(笑)、でも最近は子供も小さいのであまり時間がなくて、漫画も本もあまり読めていないんですね。
本からアイデアや勇気を貰ったりすることってありますか
それは多いですね。起業の時にいっぱい本を読んだんですけど、たくさん読んだ時に本って木みたいだと気付きました。葉っぱ、枝ところに例えばジャンルごとだったり、○○の方法とか細分化された内容の本があって。じゃあ、木の幹に近い本は何かって考えた時に、ドラッカーだったり、ナポレオンヒルとか、やはり長く愛されている本があって。

あまり多くを読むより、長く愛されている本を何度も読む方がいいかなと思って、ぱたりと読まなくなったって感じです。なので、参考にした本はいっぱいありますけど、結構読み続けている本で言うと、ベーシックな本が多いのかなと思います。
ベーシックな本というのは古典とか?
そうですね。起業を決めてからは小説とかは一切読まなくなってきましたね。父に「君の本棚はハウツーばかりだな」って言われるくらい(笑)ビジネス書を読み漁っている時期がありましたね。
それにしても、菊永さんはお忙しく社長業をされている一方で、家族の姿がはっきり見えてくる。仕事と家庭のバランスを取っていらっしゃいますよね
私、友達に自分のFacebookはほとんど子供の話じゃないかって言われるくらい(笑)、実際そうなんですけど。仕事と家庭を分けて考えるのって、女性が働いていくうえで勿体ないと思うんですよね、なので、私の人生設計の中で、子供が7歳、小学校一年生になる時には子供の部屋が欲しいから引っ越したいよねそうするとこれくらいの家賃になりそうだねとかを考えて、それは仕事の計画ともつながっています。

子供の年齢や家族の年齢に応じても、その時のイベントがありますし、その時々に会社の規模はこれくらいがいいねとか、仕事と家庭のバランスは一生懸命考えています。
具体的にそのバランスについては、どう気を付けているんですか
前職が上場会社だったので、私が会社を立ち上げる時に、上場させるのかとか言われたんですけど全くそんな気はないんですね。私の場合は、「生きていく」ために起業していて、その時の自分、家族、社員、商品の幸せのサイズを見極めながらやっていきたいと考えています。

うちは今社員数3人で、わりと平和に幸せにやっていて、そのくらいの規模だと子供と一緒にバタバタしながら仕事出来ています。ただ、ずっとこのサイズのままでいくのが幸せかと言った時に、子供が小学生くらいになって、手が離れた時に、もうちょっと違った別の規模になったらいいよねと話しています。規模よりも、幸せかどうかを重要だと考えています。
仕事は菊永さんにとって、まさに生活の一部なんですね
そうですね。生きていく中に、仕事もあれば、子供もいて、家族もいてという感じです。
確かに、同じような理由で起業された女性経営者の方に伺ってきましたが、それでも、やっぱり子供を育てながらというのは大変だと聞きます。
うち本当に業種が良かったと思っていて、卸売業でよかったなって思っています。 会社をやっていきながら出産も子育てもしてと考えた時に、 自分がずっと動き続けないと売上がたたない会社にしてはいけないなと思いました。今は商品が働いてくれているので理想的だと思います。働き方も考えた上で、この事業って決めたので、狙ってはいたけど、この商品にたどり着けて本当にラッキーだったと思います。
結果的に、本当に働きやすかったということですね
今、産休に入っていますが、商品を出荷するということで言うと、もう私なしで会社は回っていて、私がいなくても売り上げが下がるということはないんですね。前回の出産の時にそれまで一人でやっていた会社に社員をむかえて、その仕組みを作りました。 それからは実務から離れる事ができて、次のことを考える時間が増えて会社にとってもいいタイミングにその体制にできたなと思っています。
仕事・出産含め、ここまでハッピーに人生の中に取り込めていけるという仕組みを作るってなかなか一般の女性だったら難しいような気もします。
最初から、時間軸で考えていたのは大きいかもしれません。でも、私のやっている事が正解という訳では全くなくて、幸せの形って人によってすごく違うので、その人の一番幸せな形はなにかを考えた上でプランを決めるべきと思うんです。

仕事9割で子供1割くらいでやりたい人は、それを実現する形を作れる会社を選んだりパートナーを選んだりすればいい。両立を目指して独立するにしても、卸売である必要はないんですけど、自分がいなくても回るチームを作るとか、どう仕組みを作っていくかというのは、まず自分の幸せの形を考えて、それに合わせた事業モデルを考えたらいいのかなと思います。
女性のキャリアという意味においては今、非常に多様化してきているじゃないですか。そんな中で、ライフイベントを組み込んでいくことも難しくなっているように思います。
私結構こだわっていたところに、最初に人生のプランをがっちり決めたところがあって、それがよかったなって思っています。 大学を卒業すれば22歳で就職する。3年間働いて、25歳で起業して、5年くらいで安定させて、出産の準備も出来るだろうから、30歳で子供を産もうと。そうすると、29歳までに結婚しようと(笑)次の子供は2学年差で、とか、全部書いたんですよ、計画表に(笑)。それが結局、半年から1年ずれくらい叶っているので、まぁ誤差の範囲内かなと(笑)。

その計画表って、ただ自分で決めただけなんですけど。 例えば、頑張って働いていると、ふと気付いたら35くらいになって「あれ、子供っていつ産むんだっけ?」っていうことになる可能性があるじゃないですか。でも、いつまでたっても子供を産むための暇な時なんて来ないわけですよ。先に、何歳までに!とか決めておかなければ私は産めないなって思って。もし計画をたてていなかったら、いまだに結婚もしていないし、子供も産んでいないと思います。
本当に計画通りで凄いです!じゃあ、結婚相手も本気で見つけにかかったり、プラン通りに行くように実行されたんですか(笑)
それはですね(笑)、最後は結構強引に調整しました。29で結婚するって決めてたのに、28の時に8年間付き合っていた彼と別れたんですよ(笑)。わりと長い時間をかけてその人と結婚する、しないということを話してきた中で、あ、この人とはしないなということ見えてしまって、それで28の時にもう私、これ以上時間ないからといって別れたんですけど(笑)。後一年しかないし、どうするって話じゃないですか。それで、一週間くらい後に出会ったのが今の旦那で(笑)。

友人に誘われたイベントの打ち上げで凄く機敏に働いている金髪のふわふわの少年がいたんですよ。彼は当時23の金髪の少年で、私は28歳で。で、私8年間と一人の人と付き合っていたから、恋愛ってどうするんだっけって忘れているわけですよ。とりあえず「今度映画を観に行こう」って誘って行って、話をしていたらなんかこの人と結婚しようってピンと来てしまって。

それで、私最初か2回目のデートの時に、「私29で結婚しようと思ってて、次付き合う人と結婚しなくちゃいけないんだけどどうかな」と言ったら、「僕、23だし、結婚とか全く考えていません・・」と(笑)、見事に振られまして(笑)。 それで、「そこを何とか!」とかいいながら、「あなたは今後の自分の人生一体どう考えているんだ」とかその後4か月くらい話し合って。
それ、コーチングじゃないですか!
そうですね(笑)。「じゃあ、こういうステップでやっていこうか」とか、「こういう考え方ってあるよね」とか言って(笑)。 ちょうど彼はギターでアメリカへ留学をして帰って来たところで、ギタリストになりたいという夢があって。じゃあ、ギターで仕事を請けてみようと、仕事と取ってきてやってみたり(笑)。

出会ったのが8月くらいで、その4か月後の年末、もうこれ以上追っても仕方がないと思って、「もう29歳になっちゃうし、年末までは追うけど、年末以降は追わないから、結婚前提で付き合うか、もう二度と会わないか二択です」と(笑)。改めて話すと酷い話ですよね(笑)。

で、その時旦那は、「僕はついていけません」って言って、私振られたわけですよ。 「目一杯ぶつかったし悔いはない!来年には新しい出会いがあるはず!」と思っていたら、年初に旦那から「初詣行きませんか」とメールが来て、「あ、結婚するって決めたんだんだな~♪」と思って(笑)、で、結婚しました!
旦那さんは一体どういう心境の変化があったのか伺ってみたい・・・
あ、でも私聞いたことがあって、なんで二日くらいの間に変わったのかって聞いたら、「二度と会わないのって寂しいな」と思ったと言っていました。凄い考えたみたいです。でも23歳で会ったばかりの人に結婚って言われたらびっくりしますよね(笑)。
私、TVでご主人拝見したことあるんですが、癒し系の旦那さんですよね、ってこれ書いてもいいんですか?
はい。いつも取材などでつい話してしまうので一度主人に「僕にはプライバシーはないんですか?」って聞かれて。「諦めてください」って言ってます(笑)。
お家ではどちらがハンドリングされているんですか
どうなんですかね。子供が生まれてからは彼が決めることが増えました。子供の事は彼の方がずっとまじめに考えてくれているので、彼が決めたことは「どうぞ」って言って基本任せています。6歳、年齢が離れているので、こちらがあまり主導権を握らないようにしています(笑)。
しかし、その決断力、行動力凄いですね。
あ、でも私それまで何も決めてこない人生だったんですよ。私15歳くらいまで父の転勤が続いていて、「来月日本に帰る」と決まったら、それまで築いたものがすべてなくなるわけですよ。それが続くと、自分の持っているものはある日全部消えてなくなるという事に慣れてくるんです。でも、16歳で起業をすると決めた時に、あれ?もしかしたら自分で人生決められるんじゃないの?って気づいたんです。自分で仕事も決められるし、結婚する相手も決められるし、時期も全て(笑)。

結果、上手くいったのはラッキーだと思っています。例えば、計画に入っていても子供が出来ないリスクとかあるじゃないですか。その可能性はあると思っていたし、もしそうであればその運命を受け入れようとあらかじめ覚悟をしてたんですけど、いつ何が起きるかわからないから決めないで流されているのと、決めて、それに向かって行動していくのって全然違うなと思って。
お仕事上でもそうですか、結構緻密に計画されるタイプですか
そうですね。でも、仕事の場合、そんなに決めても、そのまま上手く行かないこともあって。アメリカへの進出も2年前くらいに頑張って進めていた時期があったんですけど、当時のパートナーさんと上手く行かなくて、じゃあ一回関係を解消しようかということになったりとか。

本当は計画ではもっと早く海外に展開する予定だったんですけど。 でも前職の社長に「やるべきこととか、出会うべき人とかは、そのタイミングに来るから、焦って手繰り寄せなくても大丈夫だよ」と言われて、あまり焦りも無く、そういうものかなと思ったり。 仕事に関しても人生に関しても、決めることは決めるけど、来るべき時に来ると思ってます。来た!と思った時に捕まえようとしますけど、結婚相手も捕まえに行くために必至で合コンに行ってとかいうのはしてなかったです(笑)。
そんな強い(笑)菊永さんが、拠り所にされている言葉とか本とかあってありますか
「宇宙(そら)にお願い」という本があるんです。この本はちょっとスピリチャルに近いんですかね。よくある「引き寄せの法則」とかに近いんですけど、宇宙に対してこういう風にお願いをするんだよという本で、童話っぽいというか、可愛らしい本で、それは起業の時からずっと大事にしています。こうなったらいいなとかたくさん妄想してイメージして、お願いしておくんですよ。そういう意味では、私はロジカルな部分とスピリチャルな部分両方持っているかもしれません。
菊永さんから感じる強いエネルギーはそういうところからも来ているのかもしれませんね
感覚は大事にしていて、この人なんとなくいやだとかあるじゃないですか。そのなんとなくっていう感覚はとっても大事で、無理して何かをしようと思っても結局うまく行かない。なので、「ん?」と思った時は積極的に動かないようにしています。

ロジカルな答えじゃなくて申し訳ないのですが、「直感」って大事だと思うんですよね。「ピン!」って思う事って。 工場と出会ったときも、あ、この人ならと思ってたら、その「ピン!」が外れていなくて、今でも信頼できるパートナーとしていて下さっているし、旦那を選んだ時も「ピン!」と来たし(笑)
誰しも本当は直感って持ち合わせているものなのかもしれませんよね
そうですよね。ビジネスモデル考える中でも「ピン!」がなくても、ロジカルに説明できるものってあるじゃないですか。こうなったら、このくらいに市場がなって売れるよね、というのが。でもそれって情熱がないから続かないんです。なので、起業後もいくつかビジネスプラン立てたんですけど、「ピン!」がないものは走らないんですよね、実際。 なので、「ピン!」は大事、です(笑)。
有難うございました!!
菊永 英里さん
1981年生まれ。幼少期を海外で過ごす。 2003年大学卒業後、ITベンチャーに入社。 ソリューション事業部にて、営業、役員秘書、 新規事業立ち上げに従事。 2005年 クリスメラキャッチの開発を開始し、同社を退職後、2007年7月 株式会社Chrysmela設立。 2010年The Entrepreneurs Awards Japan Groundbreakers Award (for an outstanding entrepreneurial woman) を受賞
株式会社クリスメラ
HP: http://www.chrysmela.com/
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谷本 有香
経済キャスター/ジャーナリスト
山一證券、Bloomberg TVで経済アンカーを務めたのち、米国MBA留学。その後は、 日経CNBCで経済キャスターとして従事。CNBCでは女性初の経済コメンテーターに。英ブレア元首相、マイケル・サンデル教授の独占インタビューを含め、ハワード・ シュルツスターバックス会長兼CEO、ノーベル経済学者ポール・クルーグマン教授、 マイケル・ポーターハーバード大学教授、ジム・ロジャーズ氏など、世界の大物著名 人たちへのインタビューは1000人を超える。自身が企画・構成・出演を担当した「ザ・経済闘論×日経ヴェリタス~漂流する円・ 戦略なきニッポンの行方~」は日経映像2010年度年間優秀賞を受賞、また、同じ く企画・構成・出演を担当した「緊急スペシャル リーマン経営破たん」は日経CNBC 社長賞を受賞。 W.I.N.日本イベントでは非公式を含め初回より3回ともファシリテー ターを務める。2014年5月 北京大学外資企業EMBA 修了。現在、テレビ朝日「サンデースクランブル」ゲストコメンテーターとして出演中
http://www.yukatanimoto.com/
撮影協力:竹内 佑
谷本有香氏 衣装協力:Otto オットージャパン