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■ 音楽の世界を彩る女性たち


音楽は自然そのもの!空飛ぶ鳥に聞こえるように

音楽は自然そのもの!空飛ぶ鳥に聞こえるように

千葉 純子さん
ヴァイオリニスト
3歳からヴァイオリンを始めたられたそうですね。
千葉さん:母が、私がお腹にいた時に趣味でヴァイオリンを弾いていたので、子供が生まれたら一緒に楽しめたらと、はじめさせてくれたそうです。
子供の頃の毎日のお稽古はいかがでしたか?
千葉さん:ヴァイオリンを弾くことは大好きでしたが、練習は毎日の事なので、遊びに夢中になっていたり、旅先などで自分だけそこから抜け出しての練習はつらく感じる事もありました。 近くにある祖母の家に逃げたことも何度か…(笑) ただ不思議なことに、母に叱られて「もうやめなさい!」と言われてもヴァイオリンから離れることは出来ませんでした。ヴァイオリンのない生活は考えられなかったのです。
その頃の練習エピソードなどはありますか?
千葉さん:練習に行き詰ったときに、母がよく河原に連れて行ってくれました。 川の音をオーケストラの演奏に例え、オーケストラの一員になったように川の流れにまざって弾くのです。 また、空を高く仰ぎ、あの鳥に話しかけるように弾いてみて!と、大空を自由に飛び回る鳥たちを目で追いながら、遠い遠い鳥たちに聞こえるように、青空の下で弾くのです。なんと楽しかったこと! 行き詰っていたことがうそのように、自然に気持ちよく弾いた事を覚えています。
素晴らしい!
千葉さん:雷の日は、とどろく雷鳴と競争で、曲の激しい部分を弾いてみる事もありました。今でも家の窓からみえる稲妻の光が瞼に焼き付いています。ものすごい振動とともにひびいてくる雷が怖くもありましたが、そんな大地をたたきつけるような雷に挑むように、必死で弾いたことを思い出します。 音楽は自然そのものであるということを、子供の頃から身体全体で感じさせてくれました。
本当に素晴らしい教えです、他にも何かありそうですね。
千葉さん:鈴木メソードのテンチルドレンとして選ばれ、海外のコンサートツアーに、8才から毎年のように参加していました。アメリカからヨーロッパまで、世界各国での演奏旅行を幼いころに体験できた事は、かけがえのないものでした。親元を離れ、行く先々でホストファミリーのお宅にお世話になり、各地のホールで演奏をするのです。

衝撃的だったのは演奏のあとの聴衆の反応です。「ブラボー!」の声と、割れんばかりの拍手で、お客さまが喜んで下さっているのが、ストレートに伝わるのです。それは日本では味わったことのないものでした。その時の舞台で弾くことの悦びや感動…テンチルドレンツアーの体験は、私の大切な宝物です。
桐朋学園在学中に行かれたジュリアード音楽院の留学は5年になりますね。
千葉さん:大学一年の時に、ドロシー・ディレイ先生のマスタークラスを受けたことがきっかけで、19歳でニューヨークに留学しました。世界各国から集まった優秀な学生達の演奏に衝撃を受け、自分には学ぶべき事、吸収すべき事が山ほどある、と毎日がカルチャーショックの連続でした。焦りもあったのか、思うように練習の成果がでずに、大分悩みました。

ですが、先生のレッスンを受け、自分なりに勉強を続けていくうちに、「上手くいかない所をどうしたら解決できるのか、自分はどう表現したいのか」を理論的に考えていくという先生の教えを学びました。一つ一つを視点を変えて考えていく事で心の重石がとれて楽になり、その後の私の勉強を文字通り後押ししてくれました。 ディレイ先生は本当にお忙しい先生で、時間通りにレッスンがはじまらず、夜中の2時まで待ったこともあります。 2年の予定で始まったニューヨークでの留学は5年間つづきました。
5年後に日本に戻られてからは?
千葉さん:帰国しましたが今度は別な意味でのカルチャーショックでした。 日本で演奏活動をしたいと帰ってはきたものの、仕事上のコミュニケーションに戸惑い、またまた悩みました。留学生活で主張することを学び、また若かったことも相まって、感情をストレートに出してしまっていたのでしようか…日本人なのに日本の社会に受け入れてもらえない感じで苦しかったですね。

その当時はアメリカに帰りたくて、時間があれば1か月ほど日本を抜け出して、エネルギーチャージに行っていました。あちらでの仕事探しや再度留学をするプランを練ったりと、「日本脱出計画」をいつも考えていました(笑) それ以外にも、リサイタルやレコーディングの前は必ず先生のレッスンを受けにニューヨークに行っていましたので、ほとんどニューヨークにいたような気もします。 多感な時期に外国の文化を吸収した私は、日本の土壌ではきっと生意気にみえたのだなと、今振り返るとそう思います。
小さいころから実に様々な思いで音楽を続けてこられたのですね。 その後の主な活動をおしえてください。
千葉さん:帰国当時からほとんど毎年自主リサイタルを開いています。 プログラムづくりはもちろんですが、毎回ホール決めからご案内状の送付、チケット販売にいたるまで…宛名書きなどもします。
自主企画でリサイタルを開くことは事務作業なども含めますとかなり大変だと思いますが。
千葉さん:大変です。自分でコンサートを企画することが、どれだけ大変かを実感しています。練習以外の事務的な忙しさに、「来年はもうできないかもしれない」「もっと練習時間をとらないと」など、毎回毎回へこたれながらも、なぜかまた次の年にはやりたくなっていると…(笑) 私自身も一生懸命ですが、準備にはとても多くの方々にご協力をいただき、本当に感謝しています。

そしてこぎつけたリサイタルに足を運んでくださるお客様がいる。これがどれほど嬉しいことか、自主企画をするとよくよくわかります。 ひとつの演奏会を開くことの重さを身をもって感じます。 だからこそステージでは最高のパフォーマンスをお届けしたいと努力します。

演奏会でのお客様の温かい拍手に感動し、それに励まされ、継続することにつながっていると思います。 毎日の忙しさに流されて、自分を見失うことがないよう、毎年原点に返って見つめなおす機会をこれからもできる限り続けていくつもりです。

そして、今、気のあった仲間たちと室内楽をしようと盛り上がり、来年、再来年とすでにコンサートの企画もあり準備を始めています。 尊敬できる共演者との出会いは何よりも刺激的です。
その演奏活動のかたわら、ふたつの大学で教えながら2児の母の千葉さんはご多忙ですね。
千葉さん:忙しい毎日です。いろいろな日がありますが、例えば昨日は、朝、子供たちと主人を送り出した後、大学に行きレッスンを8時間。 帰宅してからは夕食の仕度から始まり、食事、子供の勉強やレッスン、後片付けその他の家事などをすべてすませ、パソコンを開きメールチェック、コンサートの企画の詰め、そしてやっとわたしの練習の時間です。ほとんど睡眠時間はないに等しい(笑)
一日で一番好きな時間はいつでしょう?
千葉さん:やはり子供と過ごす時間と、レッスン室に一人入り、音楽と向き合う時間。 特に子供ができてからは、音楽を別の角度から感じられ、ヴァイオリンを通して自分の世界が持てることに幸せを感じます。 私は、あまり器用ではないので、時間をかけて自分のものにしていかなければならない。 家族と過ごす時間と、音楽に向き合う時間のバランスがいつも課題です。
直近のコンサートのご予定を教えてください。
千葉さん:来月はフィリピンのマニラで、マスタークラス、コンサートがあります。 これは、フィリピン人の親しい友人と話しているうちにできた、音楽を通して文化交流を深めていくプロジェクトの一つです。 同じく8月には小学生のための音楽鑑賞ビデオ収録、9月には山梨でN饗のトップメンバーとヴィヴァルディの「四季」を共演します。
これからの音楽活動についての思いがありましたらお願いします。
どんな時でも目前にあるものをひとつひとつ誠実につくりあげ、最高のものを皆様におとどけできるよう常に発信しつづけてゆきたいと思います。
千葉 純子さん
ヴァイオリニスト 桐朋学園高校、大学を経てジュリアード音楽院に奨学生として留学。在学中にニューヨーク・アーティストインターナショナルコンペティションで優勝、カーネギーリサイタルホールでニューヨークデビュー。ティボール・ヴァルガ国際ヴァイオリン・コンクール入賞、タイペイ国際音楽コンクール最高位、イタリアのキジアーナ音楽院にて名誉ディプロマを受賞、大垣音楽祭で最優秀新人賞受賞、また明治安田生命クオリティオブライフ文化財団助成奨学生となる。これまでに、プラハ放送交響楽団、プラハ室内管弦楽団、ドイツ・バッハゾリステン、ウィーン・ヴィルトゥオーゾ、タイペイ交響楽団などと共演。またヨーロッパ各地でリサイタルを開く。NHK-FM、BS放送などにも出演。

CDは、カメラータ・トウキョウより「レスピーギ:ヴァイオリン・ソナタ」、「シューマン:ヴァイオリン・ソナタ」、アウローラ・クラシカルより「メンデルスゾーン:ヴァイオリン・ソナタ」、「モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲全集I」、「テンポ・ディ・メヌエット~ヴァイオリン名曲集」、またビクターより「ヴァイオリン名曲の花束」をリリース。現在、ソロのほか、紀尾井シンフォニエッタ東京、チェンバー・ソロイスツKANAGAWA、ヴィルトゥオーゾ横浜のメンバーとして、また主要オーケストラのゲストコンサートマスターをつとめるなど、幅広く活躍している。フェリス女学院大学音楽学部、洗足学園音楽大学講師。
千葉純子後援会HP:http://tutti.fan-site.net/
スタインウェイ会最高顧問 鈴木達也氏にインタビュー
鈴木さんにお聞きします、千葉さんの音楽活動についてご感想をお願いします。
鈴木氏:千葉さんは非常に順風満帆に音楽人生を歩んでこられた方ですね。お母様の豊かな教育から始まり、テンチルドレンツアー、桐朋学園高校、大学、ジュリアード音楽院の留学、帰国してからの大学講師の道などほとんどがその時々の出会いがきっかけで、ごく自然に音楽の勉強も活動も続けておられます。

先ほどご自身で器用ではないので、とおっしゃいましたが、りきみのないリラックスしたイメージがとてもよいですね。 人との出会いも千葉さんの持っておられる可能性のひとつだと思います。 才能豊かで優れたテクニックと表現力の持ち主。 5月のガラコンサートではツィゴイネルワイゼンを弾いてくださいましたが、この曲を最初に弾いたのはいつごろですか?

千葉さん:ジュリアード時代だったと思います。これは子供の頃から憧れの曲で、楽譜がなくてもメロディをさらっていました。よく弾かれる曲ですし、一般的になじみの深い曲ですが奥が深く実は難しい曲です。

鈴木氏:素晴らしかったですね。 CDは6枚リリースされています。ご主人のプロデュースと伺っていますがよきアドヴァイザーでもあるのですね。

千葉さん:はい、演奏会の前にはかならず主人に聴いてもらっています。非常に的確に厳しく温かいアドヴァイスがあります(笑)

鈴木氏:ご家族にも恵まれておられますね(笑) 演奏活動を信念をもって続けていくことは実はとても大変なことです。 自主リサイタルを長年つづけておいでで、今後はアンサンブルの企画もおありとのこと。しかもそれらを仲間たちと楽しみながら進めているご様子はいかにも才能に恵まれたアーティストであると思います。多くの人がかかわって成り立つ演奏会ですが、そのひとつひとつの過程を知り抜いていることは千葉さんの財産のひとつではないでしょうか。

あの素晴らしいテクニックと旋律はそれらを経てうまれてくるのですね。先ほどご自身は器用ではないのだと表現なさいました。本当のところはわかりませんがもしそうだとしたらじっくりとご自身の音楽と向き合う千葉さんの「不器用」は着実に実をむすんでいると思います。 次回の演奏会も楽しみにしています。
鈴木 達也
スタインウェイ会最高顧問
1938年東京生まれ。1962年慶応義塾大学経済学部卒業、同年日本楽器製造株式会社(現ヤマハ株式会社)入社。68年米国ロサンゼルス米国現地法人ヤマハ・インターナショナル・コーポレーションへ出向。78年同取締役副社長。84年帰国、ヤマハ株式会社秘書室長。86年(財)ヤマハ音楽振興会専務理事。89年ヤマハ株式会社取締役、米国本社ヤマハ・コーポレーション・オブ・アメリカへ出向、同代表取締役社長。92年帰国、ヤマハ株式会社顧問。97年スタインウェイ・ジャパン株式会社代表取締役社長。2008年より会長、相談役、スタインウェイ会会長、2010年よりスタインウェイ会最高顧問、現在に至る。
福田 明子
ホールのオープンとともに管理運営に携わっています。クラシック音楽の演奏会をこよなく愛し朝から寝るまで音楽づけの毎日。たゆまぬ努力を重ねるアーティストの魅力的な人間性に触れる機会が増えるにつれ、音楽のもたらす力を実感している毎日です。
企画・取材
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