HOME  前のページへ戻る

濱野 裕貴子 キャリアコンサルタント/公認心理師/ワークショップデザイナー くっしょん舎
「お江戸」「古典芸能」というちょっとナナメの切り口から、人生やキャリアについて考えてみたいと思います。
古典芸能で紐解くキャリア・仕事・生きること 趣味・カルチャー 2017-03-28
古典落語de「こんな花見は嫌だ!」

いよいよ今年も、桜の季節到来。お友達や職場で誘い合い、お花見に繰り出す方も多いのではないでしょうか。

満開の桜の下で飲むお酒、つまむ肴は最高!…のはずなのですが、悲しいかな、そうは問屋が卸さない、こんなお花見もあるみたい…。

 

 

とある長屋。大家さんが、店子たちに招集をかけました。さては家賃の催促かと思いきや、意外にも大家さんの意向は、「長屋のみんなで上野のお山に花見に行こう」ということでした。

 

長屋の連中は、口やかましい大家と一緒の花見など、気が進みません。「どうせ、酒も肴もないんでしょう?」と渋ります。ところが大家は、「ぜんぶ俺がおごるから。酒は一升瓶に3本あるぞ。お重に入ってるのは、卵焼きとかまぼこだ! どうだい、わーっと陽気に騒ごうじゃねえか!」と豪語します。

 

大家の大盤振る舞いに沸き立つ一同。行きます行きます、ありがとうございますと大騒ぎです。

 

一同が花見に賛同したのを見た大家、実はな…と切り出します。

曰く…。

常日頃から貧乏長屋と言われているのが悔しいから、花見で豪勢にやっているところを世間に見せつけたい。でも、金はないから、いろいろ工夫した。

(え? 嫌な予感…)

酒は一升瓶に3つあるが、中身は実は酒じゃないんだ。番茶を煮出して水で割ってある。色は本物とそっくりの、「おちゃけ」だ。

(なに~! そんなもので酔えと!!!!)

かまぼこは、大根の漬物を半月切りにしたもの、卵焼きは黄色いタクアン。どうだ、これもお重に詰めたら本物らしくみえるだろう。

(ボリボリ音がするかまぼこや卵焼きなんざ、あるもんかい!)

 

皆、ぶつくさ言いますが、大家には逆らえません。大家が「緋もうせん」と称する汚いむしろを担がされ、偽物のお酒と肴を持たされて、上野まで歩きます。喜んでいるのは大家だけ。そのあとを、気が乗らない一同がぞろぞろ行くその様子は、花見というより、お弔いの行列のようです。

 

さあ、お山に着きました。よさそうな場所に、緋もうせん(と大家が呼ぶむしろ)を敷いて、宴会の始まり、始まり。

「どうだ、一献、献じよう」

まわりに聞こえるように、わざわざ大声で勧める大家。ところが、誰も酒や肴に手を出そうとしません。春先とはいえ、まだ肌寒さが残っています。そんな中、冷たくて酔えもしない「おちゃけ」なんか、誰も飲みたくないんです。

皆が渋っていると、

「なにをグズグズしてるんだ。これは予防注射と一緒で、長屋じゅう全員、飲らないとダメ!」

「いやあ、あっしは下戸なんで…」

「何を言ってる。これは、下戸だって飲みやすい酒なんだ。さあ、飲め!」

権力には逆らえません。みんなぶつくさ言いながら、震えながら、おちゃけを飲みます。

「肴もあるぞ~! どんどんやってくれ! さあ、卵焼きどうだ?」

今度は卵焼きならぬタクアンを無理強いする大家。

「いやあ、遠慮しときます。あっしは歯が悪くてね、刻まねえと食えねえ」

「何を言ってる、そんな卵焼きあるか!」

その後も、かまぼこ(と呼ばれる大根の漬物)を食べて「こりゃあ、ちょいと漬かりすぎてるな…」とか、「卵焼きのしっぽじゃないところ、くれ」とか、端から見たらちょっと不自然な会話が繰り広げられます。

 

そのうち、大家がまた無理難題を。「酒を飲んでいるのに酔わないのは不自然だ。周囲の人が不審に思うだろうから、ひとつ、酔ったふりをしてみてくれ」というのです。

仕方がないので、今月と来月の月番さん(長屋の世話人)が酔っ払ってみることに…。でもなかなかうまくいきません。

大家に小言を言われながら酔っ払う演技をしていた月番さん、茶碗の中を見てあることに気づきます。

 

「大家さん、長屋に近々、いいことがありますぜ。酒柱が立ってらあ!」

権力のある人の見栄のために無理強いされるお酒のない宴会って、大変そうですね。長屋の皆さんの苦労がしのばれます(笑)。

 

実はこの「長屋の花見」、もともとは「貧乏花見」という上方落語なんだそうです。上方では大家は登場せず、長屋のみんなが「お金がないけど花見を楽しみたい」ということでおちゃけ、かまぼこならぬ「かまぞこ」(お釜の底、転じて「おこげ」)、卵焼き(タクアン)をもって、お花見に出かけるというストーリーになっています。上方(横社会)と江戸(縦社会)の違いが面白いなあと思います。

 

日本は昔から、「もどき料理」が盛ん。有名なところでは、がんもどきは精進料理でお肉の代わりに使うために生まれたものだとか。現代でも、高野豆腐やお麩をお肉に見立てたり、白滝をパスタに見立てたりするようなレシピがたくさんありますね。

何らかの理由で口にすることができないものを、何とか別のもので代用して楽しもうという気持ちは、食に貪欲な日本人らしさが出ているなと思います。こう考えると、「長屋の花見」の「もどき」お酒や「もどき」肴は(いささかお粗末すぎる感はありますけれど)、なんだか素敵な趣向だな、と思ったりします。

あ、これは私自身がお酒をあんまり飲めないから、そう思えるだけかな(笑)。

 

皆さんも、工夫を凝らしてお花見を楽しんでみてくださいね!


濱野 裕貴子  古典芸能で紐解くキャリア・仕事・生きること  コラム一覧>>
おすすめのコラム
趣味・カルチャー
地震のゆれとこころの揺れ
滝澤 十詩子
歌人
こころカンパニー
趣味・カルチャー
思い込みって幻覚みたいなもの
滝澤 十詩子
歌人
こころカンパニー
趣味・カルチャー
軽やかで幸せな人生のために
滝澤 十詩子
歌人
こころカンパニー
コラムのジャンル一覧