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小山 ひとみ コーディネーター、中国語通訳・翻訳 ROOT
日本と中国、台湾間の文化交流の橋渡し役として仕事をしていることから、東京、ニューヨーク、上海、北京で活躍している中国と台湾の女性にフォーカスを当て、彼女たちがどのようなプロセスを経てチャンスを得たのか紹介していきます。
チャンスを掴む!中国、台湾のウーマンに学ぶ キャリアアップ 2016-09-30
思いを形に 建築家、蒋幸娥(ジャン・シンオー)さん

NYに来て2年目。仕事を始めてまだ9ヶ月。「毎日が勉強です。」そう語るのは、台湾出身の建築家、蒋幸娥(ジャン・シンオー)さん。現在、2人の女性ボス、6人の同僚に囲まれてNYの建築事務所で働いています。「英語はまだ、私にとってネックですね。特に建築用語は、仕事をしながら学んでいる感じです。」国際色豊かな人材を求めていた事務所に採用されたのは、「ある意味、ラッキーだったのかも。」とジャンさんは控えめに語ります。

就活中、70以上の建築事務所に履歴書を送り、面接を受けられたのは3社のみ。そして、オファーをもらったのは、唯一今の事務所だったといいます。「同級生たちは、100以上の事務所にアプライしていました。私は少ない方かもしれません。」外国人がNYで仕事を見つけるのは、楽ではありません。しかも、専門分野で理想の職場を見つけられるのは、一握りと聞きます。ジャンさんの話を伺うにつれ、受賞歴があることやこれまでの仕事の経験、そして、なにより彼女の真面目で建築に対するひたむきな姿勢が採用に繋がったのだと確信しました。

学習、更新を繰り返してきた

マンハッタンにある事務所に着くと、まずは机をきれいにし、パソコンを開きメールをチェック。そして、今進行中のプロジェクトの流れを確認し、作業に入ります。「これまで私が所属してきた事務所では、1人の建築家に一つの物件を任せるというやり方だったんですが、今の事務所は、分担して数人で一つの物件に関わるんです。」現在、ジャンさんは5つのプロジェクトに関わっています。

また、NYは建築における決まりごとがたくさんあり、それを一から理解するのがこれまた一苦労。「電話帳くらいの分厚い建築法が分野ごとに細かく分かれているので、読むだけで時間が取られます。」家に持ち帰らず、仕事中に読んで理解。「週末には絶対に読みたくないですね。」と笑うジャンさん。「事務所の中でも、全てを把握している人は少ないと思います。」手がけているプロジェクトと関係のある項目にマークをつけ、上司に「今のプロジェクトに使えるのでは?」と提案すると「更新されているって気付かなかったわ。丁寧に読んでくれてありがとう。」と感謝されたことも。チーム作業なので、自分ができることを一つひとつこなします。

今の事務所に入った頃は、慣れないことが多々あり苦労したそう。「実は、今までエクセルを使ったことがなかったんです(笑)今の事務所にきて、『使ったことないの?』って驚かれました。」また、使用するソフトは事務所によって違うので、これも一から学ばなければいけません。常に学習、更新を繰り返してきました。

最近、やっと上司、同僚それぞれの性格や仕事のやり方が見え、シャイなジャンさんも積極的になりました。打ち合わせの時、上司がさらっと手書きしたデザイン画を立体的にして見せました。それ以降、「自分でもデザインを描いてみたら。」と仕事をふってもらったり、同僚たちと積極的に相談をして進めたり。「『もっとこうした方がいいね。』とよく話し合いをするのでやりやすいです。」

もちろん、ミスもありました。立体図を描き同僚に見せると、大笑いされたのです。「自分では全く気付かなかったんですが、天井のすぐ下に土がきていて、空間がない図を描いていたんです。自分でも笑っちゃいました。」

インタビュー中、なんども笑顔をみせながら丁寧に答えてくれたジャンさん。でも、笑顔の裏には、彼女の並々ならぬ努力があったのです。

 

(写真:卒業制作『フィッシュ・タワー』の模型)

建築を志す。そして、転機が訪れる

1982年、台湾の南部にある海沿いの街、高雄(たかお)で生まれたジャンさん。両親が共働きだったことから、おばあちゃんがジャンさんと二人の弟の面倒を見てくれたそう。「子供の頃は絵を描くことが好きでした。絵を学んだのは、中学の頃からです。」中学の美術のクラスで本格的に絵を習い、コンペで3位を取ったことも。

中学卒業後、専門学校に入学したジャンさんは、絵画やグラフィックデザインを専門的に学びます。その後、空間に興味を持った彼女は、大学では空間デザイン学科に入学。大学2年の時、初めて建築デザインと模型を作る授業があり、すっかり建築に惚れ込みます。

「日光と空気と水が果物に与える影響を探り建築物をつくる」この課題は今でも忘れないといいます。彼女は「パパイア」を選択。日光を浴びたパパイアは、皮が変色する。その皮の変色は、果実に過度な日光を入れないため。その構造を利用し、透明の建物にブラインドをつけることで光を調整。内側は、不均衡な形状で構成。台湾では見たことないような建物ができあがりました。建築は面白い、そう感じたのです。

絵画、デザイン、建築と少しずつ興味が変わってきました。「もっと建築を専門的に勉強したい。」そう思ったジャンさんは、編入学をして建築学科に進むことを決心します。「あと1年で卒業なのに。授業料はどうするの?」と、両親からは猛反対。親の苦労はわかるけれど、自分の夢は譲れない。自分が決めた道は、何が何でも進むタイプ。8倍という受験倍率を突破し、東海大学建築学科に編入学した彼女は、友人にお金を借りて授業料を工面したのです。

東海大学建築学科は、台湾の建築学科の中ではトップクラス。現在活躍している台湾の著名な建築家の多くが、この東海大学を卒業しています。東海大学建築学科は5年制。別の大学で空間デザインを3年勉強したジャンさんは、2年から編入学をすることになり、再び4年間学生をすることに。

その4年間は決して順調ではありませんでした。「建築は自分に向いていないのでは」と悩む日々もありました。それでも、同級生に追いつこうと必死に勉強。気づけば4年はあっという間に過ぎ、自分でも成長を感じたと語ります。そんな彼女に、転機が訪れます。卒業制作で発表した作品がコンペで優勝したのです。

卒業制作では、『フィッシュ・タワー』という建物を提案。実家のある高雄は海沿いで、今では観光地化してしまった漁港があります。資料を集めていた時、「2048年には海から食用魚が消える」というニュースを目に。漁港がすたれ、魚がいなくなる。そこから、養殖ができる建築物を提案しようと考えたのです。「もし、高雄出身じゃなかったら、この提案はなかったでしょうね。」この作品が、若手建築家のコンペで優勝。また、その後、海外のコンペでも二度、賞を受賞しています。言葉数が少ない彼女の作品は、ユニークで雄弁。周囲のジャンさんを見る目が変わったといいます。この頃から、海外にいくことを視野に入れるようになります。

 

(写真:クーパー・ユニオンの教授、クラスメイトたちと)

建築の可能性を探る

大学卒業後は、教授から声がかかり、台北の建築事務所で働きます。大学ではアナログだったのが、事務所で一気にデジタルに。手描きだったデザイン画も、ソフトを使ってデジタル化。手作りだった模型も、ソフトを使用。ここでも、学習、更新の日々だったのです。

事務所に在籍中、『フィッシュ・タワー』がウルグアイの「世界で24の優れた建築プロジェクト」というコンペにノミネートされ、ウルグアイでのレジデンスに参加するチャンスを得ます。一週間のレジデンスでは、世界各国から集まった80数名の建築家や関係者と一緒に建築やデザインのことを語り合う日々。中国語が母国語だったのはジャンさん一人で、不慣れな英語を使い、身振り手振りでなんとかコミュニケーションを取ったといいます。その後、ブラジルへの一人旅を経て、台北に帰国。「海外に行きたい」という思いがより強くなったジャンさんは、仕事帰りに英会話のレッスンに通い、本格的に英語を勉強します。

台北での仕事も3年経った頃、ベトナムの事務所からオファーがかかります。「英語を使うチャンス」と、迷うことなくベトナム行きを決心。ベトナムでは、住居を任されます。「リビングにいる時、まるで外にいるかのような感じが出せたらと工夫しました。」提案を喜んでくれたお客さん。ジャンさん自身の思いが詰まった住居が完成したのです。「ベトナムでは、NYほど決まりごとがなかったので、比較的自由に“可能性”“発展性”を重視して作ることができましたね。」

その住居が完成する少し前、NYでの留学が決定。ベトナムでの経験も積んだジャンさんは、学生の頃から憧れていた、建築の学校としては最高学府であるクーパー・ユニオンへの留学を決めていたのです。

クーパー・ユニオンでの1年間は、本当に得るものが多かったと語るジャンさん。「自然現象をテーマに建築の可能性を探る」これがクーパー・ユニオンの教育理念。「まさに、私の理想だったんです。」と。クラスメイトとは、今でも関係は続いており、最近もクラスメイトと共作で建築のコンペに応募。「実は、それも賞を受賞したんです。」と嬉しそうに教えてくれました。

「事務所で手がけている建築は、予算やお客さんの要望、法律などあらゆる制限がありますが、コンペの場合は、自分の想像力をそのままを形にすることができます。コンペに参加することで、より多くの人に私の建築を知って欲しいという思いもあります。」

ちょうど、3年の就労ビザが下りたところ。3年は今の事務所に所属できます。今関わっている住居が、来年には施工がスタートする予定。「チャンスがあれば、現場での作業にも関わりたいです。」と意欲をみせるのでした。

インタビューを終えて

建築家になろうと決めた時、「いつか両親に家を建ててあげたい。」と思っていたそう。「参考に」とインタビューの後日、間もなく雑誌に掲載するという文章を送ってくれました。その中で彼女は、「出来上がった建築は、つくった人の建築に対する理解とその人のバックグラウントと切り離せない関係にある」と書いています。きっと、台湾、ベトナム、NYでの経験が詰まった素敵な家を、ご両親にプレゼントするんだろうなと勝手に想像してみるのでした。

 


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