小山 ひとみ コーディネーター、中国語通訳・翻訳 ROOT 日本と中国、台湾間の文化交流の橋渡し役として仕事をしていることから、東京、ニューヨーク、上海、北京で活躍している中国と台湾の女性にフォーカスを当て、彼女たちがどのようなプロセスを経てチャンスを得たのか紹介していきます。 |
英語と中国語で物語をつくる 朱宜(ジュー・イー)さん |
フリーランスの演劇コーディネーター、中国語通訳・翻訳をしています小山(おやま)ひとみです。こちらのコラムでは、NYで活躍する、中国人、台湾人ウーマンへのインタビューをお送りしています。今回は、中国人の脚本家、朱宜(ジュー・イー)さんをご紹介します。 「脚本家ってどんな仕事をする人?」あまり馴染みのない職業なので、ピンとこない方もいらっしゃるかと思います。「脚本家」は、簡単に言うと「映画、テレビドラマ、舞台などの脚本(台本)を書く人のこと」。ジューさんは、演劇と映画の脚本をメインで執筆しています。また、中国語と英語の両言語で脚本を執筆する脚本家としては、NYでも数少ないお一人でもあります。 お話を作ることが好きな少女、脚本家を目指す 1986年に上海で生まれたジューさん。お話を伺うにつれ、脚本家という職業は、彼女にとって本当に天職だったんだと感じました。物語を作ることは、子供の頃から大好き。「小学生の時だったと思うんですが、両親に叱られて、ベランダに閉じ込められた時があったんです。普通だったら泣きわめいたりするんでしょうが、私は、お話を作って一人語りをして遊んでいたんです。」と笑いながら語ります。 金融関係のお仕事をする両親からは、子どもの頃、厳格な教育を受けたそうです。ピアノやダンス、習字など、母親の勧めで沢山の習い事をするものの、彼女の興味は一貫して「お話を作ること」。また、読書好きな父親の影響もあり、学校の教科書よりも自宅にある本を読む方が好きでした。読書好きだからと言って、おとなしい子供だったわけではなく、思ったことをすぐに口にするおしゃべりな子。時に、同級生の男の子と口論することもあり、親が学校に呼ばれるということもあったそうです。 幼い頃から物書きになりたいと思っていたジューさん。脚本家の存在を知るのは、大学受験を控えた高校3年の時。同級生から、演劇大学で一週間、脚本の公開授業があると聞き、参加。あっという間に、演劇の脚本の面白さに惹かれます。「小説とは違って、舞台という場のことを考えながら物語を書く脚本家に興味を持ちました。また、自分が書いた脚本が、演出家や俳優たちの手に渡り、新たな作品として完成する。面白いなって思いました。」その時、はっきりと「自分は脚本家になる」と決めたといいます。 2008年、上海から2時間弱のところにある南京大学に入学。専攻は演劇映画テレビ文学学科。南京大学に決めた理由としては、中国の著名な演劇人が卒業していて、演劇を学ぶにはとてもいい環境にあったから。大学入学後、本格的に脚本を書くようになります。大学2年の時、初めて、自分の書いた脚本を自分で演出するチャンスがありました。初めて舞台化された作品は、観客からの反応も良く、脚本家としてやっていけると自信が出たと当時を振り返ります。 大学3年の時、交換留学生としてノルウェーの大学で8ヶ月勉強をします。ジューさんにとって初の海外。ヨーロッパの演劇に触れ、中国とは違う演劇スタイルに驚き、海外に目が向くようになります。「中国で触れてきた作品は、古典的な会話劇が多かったので、ヨーロッパのいろんな手法を取り入れた作品は新鮮でした。でも、ヨーロッパの生活は静かすぎたので、私には向いていないなって。」その頃から、アメリカ行きを視野に入れるようになります。 |
(写真:去年出演した「TED×Nanjing」でのトーク) 英語と中国語で書く理由 2008年に南京大学を卒業後、NYのコロンビア大学大学院演劇脚本科に入学。「コロンビア大学大学院は、演劇の教育において一流、かつ演劇界の著名人が教授を務めています。また、NYは競争が激しくて勢いがあるので自分に向いていると思いました。」また、大学院での3年間を振り返り、中国とアメリカでの教育の違いを感じたといいます。「中国では、作品の意義や何を表現したいのかということに重点をおいて書くよう指導されたのですが、こちらでは、とにかく自由に自分が書きたいものを書きなさい、英語の文法は間違っていてもいいからと指導されました。そこが大きな違いですね。」 大学院修了後、NYを拠点にしたのは、NYが好きだから。「こちらの人たちは、人が何をしていようが干渉してこないので、楽でいいですね。」街をぶらぶらしながら、気になったモノを撮影しては、SNSにあげているジューさん。NY生活が6年目の彼女にとっても、この街はまだまだ発見の場でもあるのかもしれません。 英語と中国語で脚本を書く。その理由としては、「中国には検閲制度というものがあり、中国で公演をする場合、ふさわしくない表現があった場合には、脚本を書き直さなければいけないんです。でも、アメリカだとそのような制度は一切ないので、自由に書けます。」かといって、アメリカの観客だけに届ける作品を書こうとは思わない。「私は中国人ですし、中国のお客さんにしか伝わらないような作品というのも書きたいと思っているので。」 また、NYでは、様々な支援が受けられるのもありがたいと語ります。「大学院修了後、ずっと劇場のフェローシップを受けています。NYには、作り手を育てようという制度が多くあり、演劇関係者からアドバイスをもらうことで、自分の書いた脚本が公演されるチャンスにつながります。中国には、そのようなフェローシップというのは、ほとんどないというのが現状です。」
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(写真:移民問題を描いた作品の出演者、関係者たちと) 好奇心、知る、そして、比較をする 仕事は、大きく分けると二つに分けられる。自分が書きたいものを書くオリジナル作品と映画会社などから依頼をされて書く委託作品。これまで、恋愛、老い、移民問題など、様々なことに関心をもって脚本を書いてきた。「色んなことに興味があるので、過去の脚本と同じテーマで新しい脚本を書くことはありません。」脚本を書き始める2ヶ月前から、ニュースや関連書を読み、とにかく色々調べて準備をする。一つの作品を書き上げるのにかける時間は、約20日。その20日間は、友人に会うこともせず、基本、自宅にこもり集中して書き上げる。なかなか、思うように執筆が進まない場合には、他の脚本家が書いた脚本を参考にすることもあるといいます。 2013年にNYで公演された移民問題を描いた作品は、その後、ミュージカルバージョンとしても公演され、去年は、台湾の若手脚本家賞を受賞。今月、台湾での公演も決定しています。受賞はこれで二度目。「より多くの優秀な演劇人と仕事ができるチャンスにつながるという意味では、受賞は嬉しかったですね。」とあくまでも冷静。また、2014年にアジアフォーカス・福岡国際映画祭のオープニング作品として上映された『ロマンス狂想曲』は、ジューさんが共同脚本を手がけた作品でもあります。 現在は、すでに書き上げた中国映画の脚本の修正とサポートプログラムのための演劇脚本を修正中。また、インタビューを受けてくれた二日後には、仕事で上海と台北に行くといいます。アメリカと中国を行き来する生活を送る彼女にとって、NYと上海はどちらがホームなのだろう。「NYも上海も私にとってはホームなので、両方が一緒になっていたらいいのにって、勝手に想像したりします。朝、上海で朝食を食べて、日中はNYで脚本を書いたり、演劇を見たり。夜は、上海で両親と夕食をとって、その後、NYで友人とお酒を飲む。そういう生活ができたらベストなんですけどね。」と脚本家らしいストーリー性のある回答をくれました。 インタビューを終えて NYで知り合った人の中でも、ジューさんは一番忙しく、一番NY生活を楽しんでいる人。気になるイベントや展覧会があると、忙しい合間をみて、足を運ぶ彼女。一緒にイベントに行くと、いつも、会場に来ている見ず知らずの人に声をかけ、おしゃべりを始めます。「中国にいた時から、気にせず自分から声をかけていました。」好奇心の塊とは、こういうことをいうんだと感心するばかり。去年の夏、金融に興味を持ち、一ヶ月、銀行でインターンとして働いたり、プログラミングに興味を持ち、オンライン講座を受講したり。実際に自分で体験しないと気が済まないという彼女の行動力は、見習わなければといつも思うのでした。
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