植野 由芙子 営業コンサルタント 植野 由芙子 「ダラダラ残業している現状を変えたい」「家庭の事情などで残業をゼロにしたい」「最低限の時間で圧倒的な結果を残したい」そんなあなたのための処方箋のような内容です。 |
アルバイトから伸し上がった私の営業法 |
「なんで起業しようと思ったのですか?」「いつから起業を考えていたのですか?」
高校生の頃から「日経平均を1円上げるにはどうしたらいいんだろう?」「もっと世の中のことを知りたい!」と考え、上京し、大学に進学しました。
その後、就職活動となったわけですが、就職氷河期まっただ中。高校生の時から、働きたいと思っていたシンクタンクを希望するも、就職相談窓口で「なんとか就職できても、お茶くみ程度しかできないよ。公認会計士などの資格をとって専門性を見つけて、コンサルタントになるのはどうだろう」と、言われ、ダブルスクールを決意しました。
ところが、同級生が、立派な社会人になって、1年、2年経っても、私は、資格浪人のまま・・・。4度挑戦し、やむなく諦め、専門学校の求人広告を眺めベンチャー企業(会計ソフト販売会社)に入社することになりました。(後日談:履歴書には、「何でもやります!!」と一筆だけ書きました。社長以外の役員は全員反対したそうですが、社長は一筆だけ書いてある履歴書がきになり、一度どんな人か見てみたいと思ったそうです。大学・専門学校では、勉強そっちのけで人脈作りに励み、教授、先生を中心に個別に相談に尋ね、飲み会も主催しまくっていました。ご縁というものはすごいもので、とある教授は社長の師匠でもあったのです。)
ただ、やっぱりコンサルタントの夢が諦められず、会社を退職し、会計士を再度目指しました。
でも、結果は惨敗。
「困った。こんな私じゃ、働くところがない。でも、若いうちに1度、日経平均を1円上げることのできる巨大企業で働いてみたい!お茶くみでもいいから!!」
と思い、友達が働く派遣会社に訪れ、その思いをぶつけて見ました。
「●●銀行の国際部の秘書補助業務なら空いているよ!」
もちろん、即決!何倍あった面接も見事クリア。(「おっきくなっちゃった!」で話題になっていた耳がぽんと飛び出る小道具をドン・キホーテで購入、持参し、最後に一芸披露したのが、功を奏しました。完全に一か八かでした。)
そこには、東大卒ハーバード大学院卒が7割以上の、信じられないくらいのエリート集団。その中で、銀行独特のカルチャーを見よう見真似で学び、何よりも、与えられた膨大な雑務を徹底的に楽しんでやることに決めました。そうやっているうちに、行員(社員)さん同様の仕事を徐々にお手伝いさせて頂くようになり、天然ガスなど石油資源関連の融資の仕組みを学ばせて頂き、「正社員の希望を出してみるか?」とのお話もいただくようになりました。
その頃、ちょうど、妊娠し、仕事との両立も考えました。しかし、両立できるような、風土が全くなく、100人中6名ほどの女性誰一人として、仕事と育児の両立をしている方はいませんでした。それよりも、この時の私は、両立は無理だと思い込んでいました。今だったら・・・と思うこともありますが。。
そんなこんなで、2年間の専業主婦生活。私には、向いていませんでした。社会から見放されたくなくて、デイトレ、英会話に励み、簿記一級、統計士の資格等を取得しましたが、どうもしっくりこなかった。これでは、日経平均1円を上げることはできない。
「もう一度働こう!!」と思い、大手人材派遣会社に通いました。
「あなたのような経験、境遇の方が働ける仕事は今のところありません。」
と言われた時、本当にショックでした。アドバイザーの方の口元をつかんで「どの口がそんなこと言うんや!!」と言ってしまいたいほど、憤りを感じていました。
帰り道、これも偶然ですが、以前働いていたベンチャー企業のある女性の方から、
「新しい部門を立ち上げたんだけど、アルバイトできない?」
と、運命的な電話を受け取ることになりました。
これが、カスタマーサポート部と言われる部署で、お客様からのクレーム処理に近い仕事でした。これが、私のテレアポの原点です。
上場企業をターゲットにした商品でしたので、日経平均1円上げる事の出来る企業と接触できるわけです。もっともっと多くの会社と折衝したい!という思いで、アルバイト→派遣社員→正社員とようやく正社員になり、営業部に配属していただきました。
会社自体、軌道に乗っていましたので、もう一度新しい起爆剤が欲しかったのでしょう。
私も、会社の思いは汲んでいましたし、何よりも私を救ってくださった会社に売上でもって貢献したかった。
なので、私は、経験の多い男性営業マンの中で紅一点で、ひたすら頑張り続けました。
経験の豊かな男性営業マンに陥りがちな、結果が全て!0%の営業確度のところには営業しても意味がない!
これを私は100%にしよう!!と覚悟決めがんばり続けました。成果がでるまでは「やいやい」言われ、罵倒されたこともありました。でも、私は、テレアポ、訪問(昭和の営業の原点です)により、0%営業確度のお客様が、会社に興味を持ち始めているのに気づいていましたので、涙ながらに、「もう少し営業を続けさせてください。」と訴えました。その頑張りが身を結び、1年後には、多くのお客様から受注をいただきました。
私は、コンサルタントの夢も持ちながら、「一生、営業を頑張っていこう!!」と、決意しました。
そんな中、会社自体、組織が大きく変わり、純粋にこれまでのように営業をすることはできなくなりました。とてもショックですが、私一人の力ではどうすることもできませんでした。
どうしようもなくなり、営業部のある会社に転職しようと考えました。
再度、大手人材派遣会社に行きましたが、やっぱり私の境遇で働ける会社はありませんでした。
「どうしよう??やっぱ、女性、子持ちといっただけでこんなにハンディがあるんだ・・・悔しいな・・・とにかく、就職したい!!」
これまでの間に、多くの人脈ができました。そして、自信もついていました。
「独立すれば?継続と情熱があればやれるよ!!」
と、尊敬する方から後押しいただき、個人事業主からはじめ、1年が経ち、ようやく法人化することができました。
個人のフェイスブックで「就職できました!」と書き込んだ所、多くの方から「いいね!」をいただき、感無量でした。これからもがんばれよ!と多くの方のお力を頂いているような気がしました。
日経平均を1円上げることのできる会社に携わってきました。
今後は、
日経平均を1円上げることのできる会社にしよう!
更なる挑戦は続きます!!
「バイト」であっても、子育て中のハンデを背負っていても、本気を出し続ければ、なりたい姿になれるんだと。
遅咲きのキャリアアップですが、 “絶対無理”の世の中の言葉に流されることなく、自分が納得いくところまでキャリアを積み重ねていったことは、今と未来の最大の力になったと確信しています。 |
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