古典落語de「期待の若手をどう育てる?」 |
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若手社員が上司の鶴の一声で抜擢され、ベテラン社員と肩を並べて活躍することを嘱望される。こんな光景が普通に見られるようになりました。抜擢された若手社員は「期待に応えたい」「成果をあげたい」と意気込み、時にその気負いが空回り、ということも…。 若き新星をどのように育てていくべきか。今日は、そのヒントにできそうな落語をご紹介します。
主人公は、澤村淀五郎という歌舞伎役者。一生懸命に修業をしていますが、役者の最高位である「名題」にはまだ手が届きません(「名題(なだい)」はサラリーマンで例えれば部長以上の管理職クラス。一方淀五郎は「相中(あいちゅう)」で、ようやくアルバイトから正社員に登用されたくらいの地位です)。 あるとき、淀五郎が所属している「森田座」で、忠臣蔵の四段目を上演することになりました。刃傷事件を起こした大名、塩治判官がいよいよ切腹をすることとなり、彼の死の間際に家老の大星由良之助が駆けつけて主従で最期の別れをする、という忠臣蔵きっての人気演目です。由良之助を森田座の座頭でもある名優、市川團蔵が、判官を当代の人気役者である尾上菊五郎(音羽屋)が、それぞれ演じる手筈で、準備が進んでいました。 しかし上演3日前になって、音羽屋が病気に。急きょ判官の代役を探すこととなった團蔵は、何を思ったか「淀五郎を名題に昇進させて、判官をやらせる」と決めます。 知らせを聞いた淀五郎は、あまりに意外な抜擢人事に驚きますが、「チャンスが来た! 絶対にいい芝居をしてやる!」と意気込みます。限られた時間の中で一生懸命稽古をして、いよいよ初日の幕が開きました。 事件は、四段目の幕切れ近くに起こりました。 ギリギリまで由良之助を待つ判官でしたがついに時間切れ、切腹の刻限となります。判官が腹に刀を突き立てたところに由良之助がようやく到着、花道を走ってきて、舞台手前の「七三」で平伏。まさに、この芝居のクライマックスです。 本来であればこの後は、由良之助が花道から正面舞台へと進み出て、判官と最期の別れをする名場面。しかし、どうしたことか團蔵演じる由良之助は花道に平伏したまま動かず、とうとう最後まで舞台上の淀五郎のところまで来なかったのです。とても奇妙な形で、初日の幕が下りました。 意外な展開に、困惑する淀五郎。團蔵にその理由を尋ねると、「お前が『来るな』と言っていた。だから行けなかったんだ」と團蔵。ますます訳が分からず「どうしたらいいんでしょうか」と尋ねる淀五郎に「お前は大名だ。大名が家来の俺に聞くな」「本当に腹を切ってみれば、どうやればいいかわかる。死んでみろ」などと、散々な返答をする團蔵。 結局、淀五郎は訳がわからないまま翌日の舞台に上がることに。しかし今回もやはり、團蔵が花道から動くことはありませんでした。 絶望し、打ちひしがれる淀五郎。 「お客様が笑ってた。恥ずかしい! 師匠はなぜ教えてくれないんだ! 悔しい! 俺に死ねとまで言った。こうなったら團蔵と刺し違えて…」 とうとう、ここまで思い詰めてしまいます。
上司から大きなプロジェクトを任されたはいいが、どう進めたらいいかわからない。やることなすことにダメ出しをされ、質問しても「自分で考えろ」と突き放される。現代風に言えば、淀五郎が置かれた状況はさしずめこのようなものだと思います。 そんな淀五郎には救いの手を差し伸べたのは、隣接する「中村座」の座頭、中村仲蔵でした(仲蔵のキャリアに関しては、このコラムでも以前、ご紹介しました)。 お世話になった仲蔵にひとめ会ってお別れをしようと、淀五郎は仲蔵の家を訪ねます。尋常でない淀五郎の様子をみた仲蔵は、以下のような対応をします。 ①淀五郎の話を優しくじっくり聴き、状況や気持ちの整理をさせる。 ②淀五郎の誤りを正す。 ・團蔵の言葉は「比喩」であり、実は重要な含みがあること。 ・これまでの学びの姿勢が甘かったこと 「お前さんの芝居には『型』がないね。『どうせ判官などまだ先の話』と油断して、先輩方の演技をよく見ていなかったんじゃないのかい?」 ・演技への具体的なアドバイス(最低限直すべきこと、すぐ使えるテクニックなど)。 ③「問い」を投げかけて淀五郎の意識転換を促し、励ます。 「『腹を切ること』の意味をお前が悟る、これが一番大事なんだよ。團蔵も言葉はきついが、実は同じことを言っているんだ。判官が花道の由良之助の姿を目にした時の心をよーく考えてごらん。その気持ちをお前自身が悟れば、きっとうまくいくようになる。」 ④継続してフォローすることを伝える。 ・明日以降も必要があれば、何度でも話しに来てよいこと。 さあ、この後、淀五郎はどうなるのでしょう。これは、実際に落語を聴いて確認していただくこととしましょう!
それにしてもこの仲蔵の対応、お見事ではありませんか! さすがは苦労人の名優、中村仲蔵です。 私が「いいなあ~」と思うことは3つあります。 1つめは、直属の上司である團蔵の指導について、その真意や指導のありがたさに淀五郎自身が気づけるように導いていること。答えを教えてしまうのではなく、あくまでヒントを与え、考えさせています。 淀五郎は團蔵の真意に気づいたあと、自分の師匠がいかにすごい人なのかを、実感することになったでしょうね。 2つめは、大名らしい振る舞いのコツや、切腹中の声の大きさや出し方など、すぐに改善すべき点に絞って、有効なテクニックを教えていること。 自分の演技をどう改善したらいいか皆目わからなかった淀五郎は、このアドバイスにどれだけ救われたことでしょうか。 3つめは、淀五郎の仕事に対する意識を変える働きかけをしていること。 抜擢された若手は、どうしても「早く成果を上げよう」「期待に応えよう」と力み、意識が内向きになりがちです。仲蔵の最後の問いかけは、役になりきって舞台上で生き抜くこと、すなわち仕事の本来の目的を見失わないようにすることの重要性を、淀五郎に伝えているように思えてなりません。
淀五郎が幸運だったのは、タイプの異なる二人の上司に恵まれたことではないかと思います。 会社ならさしずめ、部署を超えたみごとな育成体制とでもいいましょうか。非常に有能だけれど、指導方法が古典的な直属の上司(團蔵)と、部下の心情をよく理解し、陰からそっとフォローしてくれる別の部署の上司(仲蔵)。それぞれがしっかりと役割を果たし、期待の若手、淀五郎を鍛えています。 日常的な若手の育成に時間もパワーもかけにくくなっている昨今ですが、こうしたコンビネーションで厳しくも温かく丁寧に、皆が力を合わせてじっくりと、若手を育てることができたらいいのになあ、と思ってしまいます。 スピードや状況変化の速い時代だからこそ、敢えてそういう意識をもっと、強めるべきなのかもしれませんね。
「淀五郎」と「中村仲蔵」は、芸談人情噺の双璧です。仲蔵→淀五郎と続けて聴いてみるのも一興ではないでしょうか。どうぞじっくりとお楽しみください。
おススメCD:「十代目金原亭馬生 ベスト オブ ベスト『今戸の狐 / 淀五郎』」(日本コロムビア) 中村仲蔵のキャリアについてのコラム:古典落語de「キャリアの壁、どう乗り越える?」https://www.tokyo-woman.net/Column20074.html |
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